ドキュメンテーションアーカイブのみち

事業8

①イントロダクション:あなたにとってのアーカイヴとは?

 

(フェローとの対話採録)司会:久保田テツ ゲスト:松本篤、清水チナツ

 


 

久保田:いきなり、アーカイブの話というより、もうちょっと、みなさんにとって身近なところでアーカイブという言葉が捉えられているか、ちょっと知ってみたいです。どうしようかな、順番に聞いていこうかな。

A:みなさんの意見をお聞きして、と思っていたんですが・・・(笑)。専門的なことはわからないというのが正直なところ。アーカイブと聞いて、ドキュメンタリーとか記録を集めたものかなと。

久保田:自分にとって、すごく記憶に残っているアーカイブって何かありますか?もしくは、ドキュメンタリーとしてのアーカイブでも。

A:今日いただいた資料をみた後でもあるので、震災に関わるものはたくさんあるイメージですね。

久保田:じゃあ、順番に。

B:私は、アーカイブという言葉を、意識的に聞いたのは、はるか昔の大学のメディア論の授業で、図書館のアーカイブとか、美術館のアーカイブとか、伝統的名資料を集めたアーカイブというものが、一番最初に聞いたものなので、そういうものが、私にとってはメジャーなイメージ。

久保田:普段、図書館とか使うんですか?

B:普通に。

久保田:本は? アーカイブ?

B:はい

久保田:はい、ありがとうございます。次の方

C:アーカイブというと–わからなかったんですけれど–私の理解では、デジタルな貯蔵・・・なんかそんな感じ。アナログなものをデジタルに直して、保存されているみたいな、そういうことなのかなと。今は、デジタルで撮ることが多いと思うんですけれど。記録に残るというと、震災に関しては圧倒的に記憶に蘇らせるもの。事故とか全部、すごく改めて記憶って変わるんだと思うんですよね。記憶って変わるんだけれど、[記録は]変わらないから本当にそうなんだと思って。このあいだ阪神淡路大震災の記録をみるチャンスがあったんですけれども、東北の震災に比べると、はるかに、記録媒体がしょぼい感じ何ですけれども、それでもすごく訴えるものがあるんだなと。特に、私は高校で教えているんですけれども、生徒達に見せることがあって、今の生徒にとって[震災は]、お父さんやお母さんが言っていた話で、体験していないんですが、これがそうなんだっていう感じで、私らから見るとそれほどじゃないものに、受けていたのが意外でした。だから、伝えるものとしては、大きいんだろうなと。言葉とかではなく、目で見るものというのは、すごくインパクトがあるというか。そんな感じでした。

久保田:じゃあ、基本的には、視覚的なものというイメージですか?

C:そうですね。でも、読むとかもあると思うので、新聞とかもあると思うし。あと、音とかもそうなんだと思います。

久保田:ありがとうございます。

D:大体、みなさんおっしゃっているんですが、僕は、映画としてみた場合、なんか疑問を探求しているような。例えば、外国映画でいうと『Rockers』とかね。向こうの現地のバンドのミュージシャンのコメントをいっぱい集めて、ドラマを成立させるとか。パンクミュージックのシーンの全体を捉えてひとつのアーティストは、こうだと、それが自然と映画になっていたりするんですね。日本にもそれはあると思うんですが、ああいうのが、僕は・・・好きでしたね。例えば、ジャズを集めたとか、それだけでも自然と映画として、番組構成なっていまして、BBCとかの作品がいいですね。出来が。真ん中のコメンテーターがしっかり筋をくって、ああいうのが、日本であればなと、よく思います。あと、ドキュメント、アーカイブの性質というのは、現況報告だと思うんですね。今は、こうですよと。ところが、残しておいたら、百年後まったく変わっているわけですね。

久保田:何がですか?

D:その、状況とか。

久保田:現在が?

D:現在が。そもそも、記録は残すとか、そんな発想はなかったと思うんですよ。写真を1枚ぽっと撮って、京都の風景撮ってますやん?百年後駅が出来ているとか、考えられないけど、近代化しているわけ。結局、現況報告に、いろんな音楽がついたり、物語性がついたというのが、僕はそうじゃないかなと、思っています。僕、震災の映像とか、僕一切みていないです。怖くて見れない。わからないです。ただ、放送とかでは聞きますけれどね。僕は、記録の震災とかちょっと苦手ですね。ただ、関西に来ている福島の方とかお話をして、大変でしたねといいますと、向こう泣いていますから。自然とこっちも泣くんですね。それがやっぱり、自然な接し方かなと。ちょっと、メディアが行きすぎているんじゃないかなとは思います。

久保田:あの、マスメディアが?メディアが行きすぎている?

D:とか、一般とかも。過剰になっているんじゃないかと。接し方がすごい難しい。ドキュメンタリーはね。

久保田:今おっしゃっている映像というのは、映画?いわゆる劇映画を含むドキュメンタリーをおっしゃっていますね?

D:そうです。それがいつの間にか、アーカイブになっているような気がすると思うんですね。民謡とかもそうですよね。たったひとつの民謡を探すのを、どこどこの山奥のおじいさんが、唄っていたとか。それがやっぱり、アーカイブで、発音のこととかの、言語記録とかのアーカイヴになったりしますよね?それを音楽で探したりするので。一応、当時の現況報告ではないかなと、思います、僕は。

久保田:じゃあ

E:私も単純に記録かなと。今、あらゆる記録があって、個人的なものもあるし、なにか国家とかが、記録していると、それこそ現状、現状ですよとされたものであったりとか。あらゆるものが記録、アーカイブなのかと思いますね。一番アーカイブと聞いた時は、NHKのアーカイブというのをやっているじゃないですか?あれと、ラジオアーカイブという番組があって。ほとんど、ラジオアーカイブの場合は、亡くなった方なんですけれど。そういうとか。作家も写真しか見たことがないような人の肉声が聞けたりとか。そういうところで、少し、新しい発見があったりというところがあるなと、最近ちょっと改めて考えたんですけれども。

久保田:ありがとうございます。どうぞ

F:私はアーカイブという言葉が、あまり馴染みがなくて、知っているけれど、具体的に考えたらわからないなと思っていて。みなさんのを聞きながら考えていたんですけれど。私も、記録とか、図書館とか博物館とか、そういうイメージとか。阪神淡路大震災の時の、震災なんとか記念館とか。あそことか。地下に、亡くなった方の名前が書いている、水が出てくるところがあるんですけれど、ああいうところをイメージしました。アーカイブという横文字になって、最近、インターネットで調べられたり、ツイッターでつぶやいたりしているのを思うと、もっと個人的な問いか、生々しいものの集まりもあるのかなという風に思いました。

久保田:はい。ありがとうございます。松本さんは聞いていてなにかありますか?

松本:はい。例えば、さっきドキュメンタリーについて、何人かお話ありましたが。その中で、記録に対して、怖くて見れないとか、扱い方を慎重になる、というところが、アーカイブについて考える入り口になるかなと思ったりするんですね。みんながみんな、アーカイブについて、積極的じゃない、肯定的とは限らなくて。例えば、声フェスというものを題材にアーカイヴをつくっていく中で、下手すれば、誰かがなにかをやっているなーで、終わったり。ともすると誰かがやっているのも知らなかったりする。その、、、ネガティブなイメージとか、その辺のお話をもうすこし。。。。その上で、なんで参加されたのか、話をお伺いしたいなと。

D:実際、作りたいという思いもあるんですね。やってみたいと。ただ、選択ですよね。このジャンルはやりたくないとか。こういう映像は、使いたくないとか。そういう種類のものです。たまたま地震と振られていたので。目の前に津波がきて、流される。一般的に放送された部分と、そうじゃない部分がありますよね。あんなんたまらないですよね。誰でも見れる状態にされているこの管理状況も、たまったもんじゃないすわ。特に、関係者がみたら、もっと可哀想ですよね。現地の人その後、自分の家財道具を都会から来た人に盗まれたとかも聞いているんですよ。そんなことを考えたら、どういうことだとね。映像[で流された内容]に比べたら僕らのモラルとか、自分の国のことだから。ちょっと自分の中で情報は制限しています。対人として。どうやって、福島の人と、震災の人と。接するか。そのルールづくりということで。

松本:じゃあ、今のお話としては、アーカイブそのものと、インターフェイスというか、人間がそこに接する時にどういう風に、というところ、ひょっとしたら、ふたつお話の中にあるのかもしれない。

D:そうです。

松本:そういうことですよね?

D:アーカイブ自体は好きなんです。性格として。ただ、作り手となったら、すごい慎重にいかないとだめですね。

松本:どう人が接するのか、とか。

D:どういう見せ方にするのかとか、構成次第では、いいものに。ただ、今、誰でも映像を作られる時代になっているので、そこは非常に慎重に考えますね。こういうお話の機会が良い機会なんですけれど。これ、民謡とかを自分が取材したいとなれば、すごい楽ですよね。どこどこの村に行って、映像撮れませんでした。でもドラマなりました。それ、そんな作品。

久保田:私にとったら、そうじゃないという人もいるだろうし。。。みなさんは、同意されている感じ?すっと入ってくる感じ?

清水:私、気になったのは・・・私はせんだいメディアテークに2011年から働きはじめて、1番最初に担当したのが、「3がつ11にちを忘れないためにセンター」という震災のためのアーカイヴの仕事だったんです。その時、東京とか関西から来られた方は、僕らは映像によって被災したという話をしてて。実際に来ようと思ったのは、浴び続ける体に堪えられなくて、本当の自分の体で実感したいんだと。今、距離を選んでいるみたいなことに関係する話かと思いましたが、それがうまく働かないと、もう、ひたすら映像を浴びる体にさせられちゃうってことは、本当にあったんだろうなと。逆に、被災のど真ん中にいた人たちは、しばらく停電していたので、ほとんど見ていないんですよ。後からは見るんですけれど、直後に見ている人は少なくて、それによって救われていた人は、やっぱりいるんですよね。そういった距離のことは、よく私たちも話していました。

久保田:そもそも「アーカイブ」って言葉自体は、保管庫とか、要するに採っておく場所ですね。民博とかって、みなさん行かれたことあります?なんか面白い置物とかがあるじゃないですか。ああいう研究者に採って置かれるモノ自体もアーカイブと言いますよね。何を採って置くのかというのは、多分でてきたこと全てでしょう。また、NHKアーカイブスってありますが、アーカイブスって普通複数形も言わないんですが、そういう言葉が出てきているようにアーカイヴの意味も変わってゆく。だから、採って置く行為なのか、場所なのか、あるいは物そのものなのか・・・ここで定義云々はやめておきますけれど、まずはアーカイブをざっくりそういった幅で捉えておきましょう。
 それで、最初に「みなさんにとって」、というところに焦点をあてて聞いてよかったんだと思うけれども、今日は、みなさんは何をどういう風にとっておくのか、みなさん自身がモノを採って置くといったことをどのように考えておられるのかお聞きしたいですね。震災というとインパクトがありますし、あるいは、災害や事故の記録というのもありますが、もっと身近なところで。みなさん、家族の写真とかは?すぐ捨てられる方いますか?見つけ次第「こんなもの」って(笑)。あるいは、自分が描いた絵、親が描いた絵、自分が書いた手紙や親が書いた手紙。そういうのはとっておかれますか?すぐ捨てる人はいないですよね。ま。多分、そういうのも含めてだと思うんですね。ちなみに、そういうのは特に自分はすごく大事に保管している、とか。私たちの家族の写真について、とても意識が敏感だという感じる人はいますか?スキャンとかされています?

E:ネガのないやつはスキャンしています。

松本:それは、ご自身が撮られたものか?それとも家にあったお父さん、お母さんが撮られたものを残すのか?

E:自分たちが子供の頃の家族写真だとか。

松本:自分が残したものというよりは、誰かが残してくれたもの?

E:その中に自分が、子供のころに撮ったいがんだ写真とか、中心がずれている写真とかもありますけれど。それを引き延ばしたりとかして。こないだ父の日に父のイベントをしたんですね。参加した人たち、女性ばかりなんですが、お父さん一人だけが亡くなっているんですけれど。A3ぐらいに拡大して、貼って、イベントをしたんですけれど。

久保田:ちなみに、どうしてそういうことをされますか?

E:スキャンするってこと?それが、オリジナルひとつしかないので。ネガがあれば、そういうことはしないんですが。ちょっと加工したい場合とか

久保田:ネガがあれば、それをしなかった?

E:ネガから直接プリントしたと

久保田:なるほど。ネガ自体は、置いておけば。

E:うちの母は、写真を撮ったら、ネガをすぐ捨てる人なので。ネガがなかったんです。

久保田:そうか。。。みなさんは、どうですか?どうして写真とか捨てずにとっておくんですかね?

E:昔は、魂がうつっているとかいっていたから、捨てにくい。

久保田:単に捨てにくいから、嫌やけど溜まっていく的な(笑)

E:それはあります。人が写っているものって、捨て難くないですか?

A:あります。

E:わかりますよね?

久保田:みんな、そういう理由でとっておく?

A:ごめんなさい。捨ててました。

久保田:どんな写真を捨てたんですか?ちなみに

A:失敗した写真だったんですが。

久保田:紙の写真?ちなみに採っておいている写真は、どんな写真ですか?

A:なんとなく採ってあるだけなので。後でふりかえれる・・・

久保田:捨てずにいる理由は、人が写っている、あ、違うね。さっと捨てられるもんね

A:すみません!

E:失敗って、何が失敗なのよ?

久保田:そうですよね。それ問題ですよね。

A:あまり、ぼけていたとか、色がきれいに出ていなかったとかですけれど、後で見ても、ヤダなと思うだろうなと思って、捨てたんですけれど。

久保田:後で見るということは前提に?

A:そうですね。

久保田:ほかの方はどうですか?なぜ自分は写真を採っておくのか

F:自分が覚えていないことまであるので、写真は。自分が思いだせないこととか。「あっ、こういうのもあったわ」みたいなこともあるので、記憶の、覚えられていないことの補完みたいな。

久保田:ということは、それを見て、新たに発見したり、新たに気づいたりするということがあるということですよね。

F:そうですね。

C:私は、自分の一部のような。その人の一部のような気がするから、捨てられないんだと思うんです。実は、今すごく困っているんですよ。写真の処理に。

会場─笑

C:で、実家が、割と亡くなったりとかして。人が。すごい、いっぱいアルバムがあって、私が知らないようなおじいちゃんやひいおじいちゃんの、出征の写真まであったんですが。でも、これ、どうしたらいいのかな?って、置いてあるんですけれども。なんで捨てられないのかなと、今、思っていたんです。・・・今だから、自分が死んだ時に、写真がいっぱい残っていたら、困るやろうなと思って。デジタルになっているから、プリントアウトせんとこうと思って。一瞬で消えるので。

久保田:でも、今もし例えば亡くなられたとして。それがすぐに捨ててほしいか、それとも次の世代に、デジタルであったとしても一応、持っておいて欲しいと思います?

C:うーん。そこは、次の世代に任せますけれど。そこは私は、死んだ後のことは、あまり思わないですね。

久保田:さきほどOさんが、現況報告だと。写真が写っているものは変わらない、とおっしゃっていて、変わっていくのは、見る世代の状況とおっしゃっていて。そう思いつつ、一方で、見るたびに、発見がある。つまり、写真そのものは変わらないんだけれど、でも、見るたびに新しい発見があるというのは、その人にとっては、変化しているともいえますよね。

D:はい

久保田:そこにも、何かヒントがあるのかなと。お話を聞いていて思っていて。みなさん自身も、おいてあるということ。例えば、いくら何にも変わらない写真であれば、多分もうちょっと、捨てる率があがるのではないか。もちろん、人が写っていれば、失礼な気がするというのは、よくわかりますし。多分、そういう意味でも、捨てられないのもあるでしょうが。見るたびに、違うものがみれたり、忘れていたものが、再び感動やヤなもの含めて、自分の中に発見する。そういうもの

D:この前ね。ほかすで考えたら、写真はほとんどないんですよ。ただ自分で書いたメモがね、ほかせられないんですよ。それが、写真なんです。つい先日、海外旅行をしてきたんですよ。1週間ぐらい。1枚も写真を撮らなかったんですが、そのかわりこんなメモ帳が分厚く全部描いているんですね。絵とか。たくさん書いているんですよ。それを絵に起こしていくんですが。それを残しているんですが、それが写真みたいな発想なんですね。記録で、写真を撮らなくても、こっちが写真だよという発想になったんです。だから、このメモが、ごっつい大事なんですよ。真っ黒になっている。その中に凝縮されてるんですね情報が。

久保田:面白い。民博の保管庫には、実際そんなオブジェとか。以上に、研究者が残しているノートが大量にあります。

D:そんなん大好きです。

久保田:それは、写真よりもむしろノート。

D:そうなんですよ。そこに秘密がいっぱい書かれている。僕は大好きです。それ。

松本:自分でドキュメントみたいな感じで、自分で探索して?

D:早坂先生の資料をくださいといわれたら、その人しかわからない情報が隠されているんですね。筆圧がどうだこうだとか。むちゃくちゃ面白いんですよ。

久保田:結構、マニアックですね。

会場─笑

D:それを、やってしまったんですよ。ただの社会人なのに、そこまでいかなきゃ出してもらえない状況になって。楽譜を探しているんですけれど。映像に音をつけた、ゴジラの音楽を作ったりした、早坂文雄さんという作曲家の。ちょうどああいう世代の人で。ドキュメンタリー映画作ってますからね?それに音楽つけていますからね。いや、凄まじいですよ。芸術的な感覚が。

久保田:ノートから?音楽からじゃなくて?ノートみると?

D:そうですよ。芸術論が描いてあるんですよ。映像には、こうやって音楽をつけるとかね。凄まじいですよ。アナログ時代の人ですからね。映像が、入ってきて、どうやろうと考えていた世代ですから。記録映画、ニュース音楽もつくっているし。

久保田:どうして、人が写っていると捨てにくいのかというのも、まぁ、別の筋で話してみたいところですが。今日は、ちょっと置いておいて。

松本:先ほどの楽譜の話ですが。ちょうどいいかなと思って。楽譜に込められた想いというようなものが、あるから、それを、逆に、参照できるのは楽譜になるんですよね?だからある種記号の、並列されたものが、そういう残されたものであったり、アクセスの仕方によっては違うように見える

D:そうですね。ああいう性質ですね。時代によって、本質はこれなんだけれど、見る側にとってかわる。さっきの写真と同じですね。

松本:楽譜、すごく一見、原始的な、最初の楽譜を残したのは、聞こえる音をなんとか残したい、そして、なんとか機会で誰かが再生できることを希望して、記号にしたんですよね。

D:そういう発想を踏まえて作っているから、たぶん、次の世代で、どこかのこるだろう。芸術作品として残るだろうと思って作っているんですね。だから、手書きで綺麗に。綺麗じゃないけれど、作品になるような努力をしていますから。500枚ぐらいあるんです。ひとつのメロディー。やってられないというところもありますが。