事業7
講演「巫女神楽について」
日程:11月7日(土)
場所:江之子島文化芸術創造センター(enoco) B1F ルーム5
講師:三上敏視(多摩美術大美術学部非常勤講師。同大芸術人類学研究所特別研究員)
1953年愛知県生まれ。日本のルーツ音楽として神楽探訪を続け、『神楽と出会う本http://www.amazon.co.jp/神楽と出会う本-三上-敏視/dp/4903951227/ref=asap_bc?ie=UTF8』(アルテスパブリッシング/09年)を出版。『民俗学事典』(丸善出版/14年)で神楽の項目を担当。音楽家としては神楽太鼓の呪術的響きを大事にしたモダンルーツ音楽を中心に多様な音楽を制作。神楽を広く紹介する「神楽ビデオジョッキー」の活動も行なう。
ホームページ[http://www2.comco.ne.jp/~micabox/]
司会:声フェスの「伝統芸術の現代化」第2回の講義として、東京から、三上敏視さんをお呼びしております。自己紹介は、あとでじっくりしていただこうと思いますが。以前、セミナーの初めの方でお伝えしているんですが、愛知県生まれでいらっしゃいまして、神楽について本をだされたり音楽家としても活動されていまして、神楽を広く紹介する神楽ビデオジョッキーの方を、今回メインでやっていただこうと思っています。では、よろしくお願いいたします。
こんにちは。三上敏視といいます。よろしくお願いいたします。
今回のテーマは「現代芸術の現代化 神楽の今」ということなので、私は伝統芸能、その中でも、民俗芸能といわれている分類の中に入れられている神楽をビデオ映像を使って紹介して、もともとはこういうものです、ということをわかっていただきたいと思います。 これを見ていただくと、神楽は芸能だけではなく、芸術といっても、いいんじゃないかなというものもあるのではないかと。これは、おひとりおひとりの、感じるところになるとは思うんですけれども。そういうものも、みなさんが発見されるかもしれません。僕としては、結論を先に言ってしまいますと。記録メディア。映画とかですね、ラジオやレコードの録音。そういう記録メディアとかが出る前の総合芸術のひとつだったのだなと思います。特に町民文化の都市部でない、いわゆる田舎にこういうものがたくさんあったことが驚きでもあります。
民俗芸能はメディアが発達した現在はちょっと、古びたもの、鄙びたものというような感じにはなっていますが、かなり色んな日本の文化の肝(キモ)が色々含まれていますので、そのへん、みなさんそれぞれ見つけていただければと思います。
そして民俗芸能に対して伝統芸能といいますとね、これは一般的に専門職、いわゆるプロによって伝えられている、伝えられているというか、続けられているもので、能狂言、歌舞伎ですとか浄瑠璃とか、そういうものですね。あと、最近ですと邦楽といわれる琴だとか。今は尺八もそうなってしまいましたけれど。近世の都市文化に生まれてきた文化、それが家元制度みたいなものがあったりして、プロによって受け継がれてきたのが、だいたい伝統芸能と言われています。
そして神楽は、一応民俗芸能という範疇に入ります。これはまた、民俗学という学問の定義が実のところハッキリしていないようなんですが、民俗学の中で、民俗芸能というくくりをして、その中で、なおかつこれは神楽であるとか、これは田楽であるとか、これは風流であるとか、これは祝福系であるとかいうようなものを、学者の人が決めてきました。
この時間は、神楽は一体どんなものか、何をしているのか、ということを、駆け足で見てもらいますけれども、ここで神楽と呼んでいるのは、民間の、里神楽というような呼び方をされている神楽です。これに、相対するのは、宮中の御神楽(みかぐら)というものでして。今でも、皇居の中で行われているもので、これは、一般の人間は見ることができなくて。学者が見せてくださいといっても、入れてくれないものです。
ただこの御神楽というものが生まれた時に、既に里の神社の、宮中の外の神社の神楽の影響も受けたり、お互いにフィードバックしていたと言われています。で、ひとつだけ、宮中の御神楽に一番近いんではないかという神楽を見てもらいます。これは、みなさん割と見に行きやすい石清水八幡宮の御神楽です。
映像:@石清水八幡宮「人長の舞」
ここで使われている楽器は雅楽に近いですけど、和琴という日本の伝統的な昔からあった琴が使われ、笏という、今でも神職が使っている板のような祭具も二枚を拍子木のように楽器として使っています。
昔は、こういう祭りは、夜中にやりました。
今、宮中の御神楽というのは、歌がメインのようです。神歌という神楽歌を歌っています。どのような歌かといいますと、解説によると、採り物の歌。採り物というのは、手に持つものです。舞を舞う時に手に持つ鈴であったり、御幣であったり、榊であったり、剣であったり、ま、色々持つわけですけれど。それを、神の依り代と考えることもあるし、それから神を招く目印という風に考えることもあるし。その採りものを褒めるというような内容の歌が多いといわれています。五七五七七の短歌形式になっています。
そしてこことか、鎌倉の鶴岡八幡宮あたりもこれによく似た御神楽というものもやっています。そっくりそのままではないですが、宮中の神楽に近い神楽と言われています。石清水八幡宮も、鶴岡八幡宮も、宮中ではないので分類では里神楽になるんですけれども、内容は宮中の御神楽に近いもので、わたしが追っかけている里神楽はこういうタイプではないということになります。
これが宮中の御神楽というものに近いということと思っていただいて構わないと思います。そして、現在、多様な形で里神楽があります。それで最初に、恐らく巫女の祭り。巫女が神を呼び、神がかりをして、神のメッセージ、神託を受けるというのが、一番古い形の祭りであったであろうと、言われておりまして、そのあたりは、17時からの回で、色々ご紹介しようと思います。それが残っているのが「巫女神楽」と分類されています。分類はなかなか厳密に出来ないんですが、この他に「採物(とりもの)神楽」「獅子神楽」「湯立神楽」があり、だいたいこの四種類という見方が一般的ですが、それぞれの要素は混在しています。
かつては卑弥呼のように女性がまつりごとをしていました。女性が中心にやっていた時代があって沖縄では、まだそういうのが残っていますけれども。女性がやっていた祭りを、男性によって執り行われるようになり。そして、色んな、大陸から直接、あるいは、朝鮮半島を経て色々な祭祀文化も入って来たと考えられています。もちろん、北からも来たろうし、南からも船で来たかもしれないし。吹き溜まりのような日本列島に、色々な形で色々な文化が入ってきたのであろうと。その中で、中世に、修験道というものが日本で生まれました。
生まれた時期は諸説ありますが、古代ということでいいと思うんですけれども、平安時代の後半に非常に盛んになったと言われています。この修験道は、その当時盛んだった中国から伝わった密教系の仏教、それから同じく道教とか、陰陽道ですね。「陰陽師」という映画があったりしましたけれど陰陽道とか、色々な宗教というか、色々な呪術の方法をですね。そういうのを取りまとめて、神道の元になった古くからある日本の自然崇拝と祖先崇拝、アミニズム、シャーマニズムにその呪術が加わり、あとプリミティブな山岳信仰ですね。そういうのが、色々ミックスされたのが、修験道。その修験者達が、祭りをするようになったと言われています。
ですから神楽は、修験者が日本各地に広めたと言われています。もう一つそこに、芸能としては、中国からきた、散楽が猿楽になり、田楽とか、田遊び、田のお祭りですね。とかと結びついて、そこで色々な芸能をしていたのが、寺社の祭礼にも取り込まれてきたということで、猿楽の芸能というのが、ひとつ神楽には、芸能としては、神楽の要素としては、強いものがあります。
で、神楽が、どういう形に落ち着いたかといいますと、まず場所を清めて、神を呼んで、神が現れたことになり、神と共に宴会をします。宴会をして、神を慰撫したり、こちらから色々祈祷をしたり、お願いをしたり、楽しんだり。また、神のメッセージをもらったり、お願いをしたりして、神様に帰ってもらう、と。この一連のプロセスを持つものが、一応、神楽と呼ばれています。
ですから、これは神楽で、これは神楽じゃないと、民俗芸能でどう区別するかというと、そのあたりの要素があるかないか。あるいは、神を招くとか、神と交流するとか、そういう要素があるかどうかあたりになるのではないかと思います。
それでは、しゃべってばかりでは、聞くのも大変でしょう。私もしゃべってばかりでは大変なので。まず時間がないので、清めの場面からいきたいと思います。場所を清めたり褒めたりすることで、神様を呼ぶ場所を設定する。そういうことになります。長崎県の壱岐という島壱岐神楽というのがあります。壱岐は一年中、祭りで小さな神楽が行われていますが12月に一番大規模な神楽をします。その最初の方で、太鼓始というのがあります。
映像:壱岐神楽「太鼓始」
この神楽は江戸時代になってからから、仏教色を排して、神道色。唯一神道化したと言っている神楽です。ここは壱岐の、島にある神社の神職さん達によって行われているので、明治までの古いスタイルを持っているということになります。
江戸時代は主に神職が神楽をやっていたと言われています。神職、あるいは神職の家系、里、村の人でも、村の祭りを担う神職の家柄の人たちによって神楽は行われていたと言われています。明治維新で神仏分離になった時に、神道が国家神道になり、神職が芸能をしてはいけないとなったようなので、明治以降、本来はありえないんですが。全国的に神職さん達による神楽はあちこちにあるのも事実です。
太鼓というのは、神楽の中で、もっとも重要な楽器ということになり、今、笛が鳴っていますけれど、笛がない神楽はあっても、太鼓のない神楽はほとんどないです。今やっているのは、太鼓を清める意味もありますし、それから太鼓の音で、この場所を清めているとも考えられると思います。太鼓の響きには、それだけの力があるという風に考えられていたわけですね。それで、続いて今度は同じ壱岐神楽の荒塩という神楽があります。さすがに、海に囲まれた島の神楽ということで、塩を撒いて清めます。
映像:壱岐神楽 「荒塩」
今、左手に持っているのがお盆で、塩がのっています。右手に鈴。これが採り物であります。鈴で清めたりもします。
実は、この舞、くるくる回転して舞っていて、また、ふたりがセットになっていますけれど。これは、後半のテーマにもなるんですが、かなり巫女舞の要素があるんですね。歌っているのが、神歌とか神楽歌とかいわれている歌です。大体短歌の形式になっています。
この神歌の歌い方も神楽によって千差万別、色々あります。あと、壱岐神楽の特徴としては、この太鼓のリズムが、かなりジャズのフォービートに近いところがありますね。日本のお囃子はかなり、今のポップスのリズムで説明できるお囃子がいっぱいあります。
これは、今、東西南北、四方にむかって塩を撒いて清めをやっています。四方それから中央を加えた五方にむかって同じことをするというのが、割と神楽のなかでは多く見られます。ですから、そのひとつの所作が長いと、それだけひとつの演目の時間も長くなる。下手したら、ひとつの演目が1時間を超えちゃうような神楽もけっこうあります。
福岡県の豊前。大分と県境の海沿いにあります。ここに豊前神楽という神楽がありまして。
映像:豊前神楽 「花神楽」
豊前神楽の中に、これも、最初の方で。「花神楽」という名前の演目があります。これは四人舞なんですが、右手に採物の御幣。左手に扇を持っています。で、今、扇に何か、ひとりひとり乗せています。これは紙吹雪なんです。
そして今、その紙吹雪を、撒いています。これは、おそらく花びらを撒いているという意味だと思います。仏教でいう散華。こういう、清め方といいますか褒め方といいますか。こういうやり方もあります。色んなやり方で、場所を清めるわけです。
映像:本川神楽「座固め」
次は高知県。今、いの町にはいりましたけれど、本川という、旧本川村というところにあります。ほとんど斜面しかない、田んぼは一枚もないというところに、ずっと、何百年も続く本川神楽というのがあり、ここでも最初の方に、「座固め」という演目があります。
座を固めるという。固めるというのはどういうことかといいますと、安定させるということですね。まぁ、地面が揺らがないように、揺るぎのないように、堅める。また、地面から悪いものが出てこないように。日本の芸能では、反閇という地面を踏みつける所作が大事だといわれています。反閇などをして、地面から悪いものが出てこないように。あるいは、こちらのいいパワーを地面にいれる。そして、この座を固め(堅め)る、安定させる。神様に来てもらえるような場所をつくるということですね。
これも、くるくる回って、もうほとんど巫女舞の痕跡だと思います。今残っている巫女舞より激しい回転をします。で、今、手に持っている採物は榊なんですが、ちぎって散らかしています。見た目は散らかしていますが、これも散華の意味があると言われています。ですから、散らかしているんじゃなくて、清めているんですね。さっきの、豊前神楽と本川神楽は、多分文化圏的には、ほぼ同じ文化圏なのではないかと、神楽でみると、思います。太鼓も、ここも、お囃子16ビートですね。
珍しく採物を持たない部分に入りました。これ、手印を結んでいます。この辺が修験の痕跡が残っています。ちなみに、今、修験道ちょっとブームなんですが、明治維新で一度禁止されました。修験者は、あちこち散らばっちゃったりとか、神社で神職になった人もいまたし、農民になった人もいるんですが。神楽の中には、修験の要素が色濃く残っています。非常に舞もユニークで見続けたいですが。この辺にしておきましょうか。
それから、今度は神を呼びます。今の本川神楽の場合だったら、神迎えは歌で迎えます。この太鼓を叩く胴取りを中心に、太夫さんも本来は歌うようなんですが、神迎えの歌を歌って、お迎えします。
映像:本川神楽「神迎え」
本川神楽ではこんな感じで呼びます。そして東に行きますけれど。岡山県に備中神楽というものがありまして。えー、これ白蓋(びゃっかい)神事といって、白い蓋と書くんですけれど、ここの天井から吊るされているもののことです。これは一般的には天蓋(てんがい)と呼びます。天の蓋。これも、諸説あるんですが、一番有力な説は、お寺のご本尊の上に吊るされている天蓋を、修験者が移動してお祭りしていたので、それを臨時で紙でつくったという説が強いです。この、白蓋に祖先神にきてもらうのです。
映像:備中神楽「白蓋神事」
今、祖先神を呼んでいるところです。神歌を歌っているのは、太鼓を叩いている神楽の太夫で、その前にいるのが、宮司さん。宮司が、今、祝詞をあげて、太夫が神歌を歌い、手前三人が氏子代表、ということで、賢まって座っています。そして、この白蓋を動かして、神さま、今呼んでいますよ、という感じですね。ここでは荒神、荒神神楽ということで、ご先祖様のことを、荒神、荒ぶる神と書いて、荒神と呼んでいます。そして四方に作られた梁にずーっとたくさんの御幣が刺さっていますが、このたくさんの御幣に八百万の神を招くと。神楽は基本的に氏神様を呼んで、それから八百万の神々、また神仏を招いて行うというのが基本です。
今、白蓋の動きが変わりました。神様が来たようですね、というか来たように表現しています。ビジュアル化ですね。見えない神様を、いかに感じさせるかということを、これを何百年も前に考えて、工夫して、やっていたわけです。我々の先人は。今、神様は喜んで飛び回っているんですね。ここは、まだ神事的な内容。神楽の中の神事的な部分です。時間がないので、神楽は色んなタイプがありますよっていうのをみてもらいたいので。次に移ります。
映像:三作神楽「神迎え」
次は、山口県。ちょっとまた西にもどりますが、山口県の徳山から山に入ったところに三作(みつくり)。三作というところがありまして、そこに三作神楽があります。ここは、二日かけて行われて一日目はお昼から夕方くらい、二日目は早朝から夜遅くまでやっていますが、早朝7時30分ころに神迎えします。
これはですね、普通、神楽をする祭場を清めて、その祭場で神を呼ぶんですが、ここはご丁寧にですね。こうやって、氏神様のいるところに並んで迎えに行きます。最初は、右側にいる氏子さんの氏神様。御神木ですね、裏山の。で、御神木は枯れちゃって皮だけになっているんですが、ここで今、神迎えをやっています。少し飛ばします。神職さんが持っている御幣に氏神様にのり移ってもらっています。今は神社神道的な、神迎えのやり方をしていますが。昔からこのようにしていたかはわかりませんけれど。
氏子さんに氏神様の依代である御幣を渡して、次へ行きましょうと。別の氏子さんの氏神様の祠に行きます。御神木は一体どうなっているのかと、見に行きましたら。ちゃんとですね。根っこから、次世代の御神木がちゃんと伸びていまして。これもう10年以上まえですから、今はもう少し太くなっているでしょう。で、さっきの氏子さんの氏神様はこの御神木だったんですけど。次の氏子さんのところの氏神様は、ほんとに家のすぐ横の石の祠ですね。いつの時代かわかりませんが、移してきたんじゃないかと思います。江戸時代とかですね。
三作神楽はかつては11月の12、13日と日取りが毎年決まっていてやっていたんですが。今は11月の第2土日になりました。夜通しではないですが、土日にやっています。ですから、来週の土日に三作に行くと、これ日曜日の早朝ですね。日曜の早朝に行くと、こんな感じで神迎えをしているということになります。他にも、神迎えのやり方はいっぱいあるんですが。そして、かつてだったら、神がかりということで、巫女なり、あ、巫女さんに、神が降りてきて、メッセージを、神託を与えてたんですけれど、その代わりに、お面という便利な道具が使われるようになって、それを被って、神が現れるという風に考えるようになりました。
映像:本川神楽「山王の舞」
これは先ほどの本川神楽です。赤い布を被ってですね。唱えごと、これもまた仏教的な唱えごとらしいんですが、これを15分から20分ほどうごめきながら唱えているそうです。赤ナマコみたいですね。ぐにゃぐにゃと動いたあと、じらせてから布が取り払われて神が現れるということになります。これ山王(やまおう)という、この神楽の中で一番重要な神様と言われています。山から下りてきた神です。
日本人は、死んだら、魂は山に行くと、考えていました。もともと太古は海だったらしいんですが。山に行った祖先は年月を経ると神になると。祖先神になって、子孫を守ってくれると考えていました。それと、山というのは、特にこういう山間で暮らしている人たちにとっては、生活の拠り所ですね。恵みをもたらす。そして、時には、災いも起こると。いうことで、その山を象徴とする自然とうまく付き合っていかなければならないわけで、山王は過酷な自然の代表という性格もあります。
ここでは、この神は、ただ現れるだけではなく、まぁ、悪魔払い、邪気払いのようなことをしてくれます。今、刀を抜きました。榊をスパスパと切っています。真剣です。この真剣を、今、前後左右確認しています。目視確認をしまして、これから振り回します。子供の声が聞こえますけれど、まかり間違って、手が滑って刀が飛んで、こどもに刺さる可能性もないわけではない。かなり、スリルがあります。実際は本川神楽が始まった時から、今ではみんなお酒呑んでいますけれど。えーと。原理的というか、本来は、この山王までが神事ということになっています。山王が現れるまでが神事で、これから後半が神とともに、神人共食の宴会にはいるわけです。ここからお酒を呑んでいいと、建前としては、そうなっています。色んな神楽で、西日本は特に多いんですが、ここまでが神事で、ここからが宴会という区別があります。
さて、宮崎県は神楽がめちゃくちゃ多いところで。今でも200ぐらいの神楽が。200箇所ということになるんですが、行われています。ここに、銀の鏡と書いて銀鏡(しろみ)神楽というのがあります。これは、結構この辺りでは有名な神楽でして。宮崎には、色んな面白い神楽があるんですが、この全体の中で、単独で、国指定の重要無形民俗文化財になっています。ちなみに、椎葉神楽も国指定です。椎葉は26ヶ所の神楽がまとめて国指定になっています。それから有名な高千穂神楽。高千穂も20ヶ所の神楽がまとめて、国指定になっています。しかし米良(めら)のエリアでは銀鏡だけなんです、米良神楽でまとめてあってもいいんですが、単独で指定されています。ここでは、銀鏡地区の6つの神社のそれぞれの氏神様がご神体として神面が祀られていて、5つの神社から銀鏡神社にこの神面が集まってきて、神楽の中でこの面をつけて氏神として登場します。
映像:銀鏡神楽「宿神三宝荒神」
銀鏡神楽は銀鏡神社でやっていますけれど、これから出てきますのは、銀鏡にある末社のひとつの宿神社。宿と書いて宿神社というところの、宿神三宝荒神という氏神様です。
これがね、確か室町時代の頃の面だといわれちます。この頭上にあるもの、さきほど備中神楽では動いていた天蓋ですね。ここでは、天(あま)といいます。天の下で、厳かに舞うのが、ここの氏神です。ここでは、アマというだけあってこれは宇宙を表していると考えられています。今、おひねりが投げ入れられていますけれども、主に冠とか衣装に、おひねりがひっかかると縁起がいいと言われていて、みんな争うように狙って、おひねりを投げ入れます。
このほかにも西宮大明神など色々な氏神が登場してくるんですが、その時もおひねりが投げ入れられます。本来、神様、これも、ちょっとおまじないなんですけれど、若干、おみくじひくようなつもりでおひねりを投げているんだと思いますが。子供が舞う演目なんかでもご褒美みたいに子供におひねりを投げ入れたりして、ご祝儀っぽくなっちゃってもいます。
さて、色んな形で、氏神が、神を呼んだあとに、面で出てくるというところが多いわけですがそれまで時間がかかります。そして、銀鏡にも、氏神が出てくるのにかなり時間がかかる。6時くらいから始まったとして夜9時すぎくらいでしょうか。銀鏡神楽は宮崎で夜神楽と呼ばれる夜通しの神楽なんですが。大ざっぱにひと通り氏神様がでてきたら宴会です。ということになっています。
銀鏡では神楽やる人たちは、呑んじゃいけないということになっています。だいたい夜神楽は飲みながらやるところが多いんですが(笑)。で、見ている人たち、村の人達は、ここから宴会で呑んでいいというわけです。これも実際は今、最初から呑んじゃってますけど(笑)。同じ米良の神楽で村所神楽というのがありますが前半の神事的な部分を神神楽、後半を民神楽と呼んで、分けている神楽もあります。それでこの後に、神迎えでは呼んでいない、氏神じゃない神が現れます。これが実は重要なんです。
映像:三作神楽「芝鬼神」
全てではないですが、九州、それから西日本には呼んでいない荒ぶる神が現れる神楽が多いです。これは、三作神楽の芝鬼神。芝というのは、山に柴刈りにの柴の字を使うこともあるんですけれど、神楽の場合は、榊のことをあらわしています。かなり激しい舞です。だいたい氏神の舞よりも鬼神、荒神の舞が激しいですね。ここの芝鬼神は現れてから、こういうお囃子の人たちをからかったり、お客さんをからかったりします。
お客さんからは「いい鬼神じゃいい鬼神じゃ。」と声がかかります。呼んでいない神様なんですけどで人気キャラなんですね。僕は、乱入系と呼んでいるんですが。僕しか呼んでいる人はいないんですが(笑)。その後こうやって、神主と問答になるわけです。お前誰だと。呼んでない、帰れ帰れと。
この鬼神や荒神、荒ぶる神、怒れる神は大体山から来るんです。宮崎だと、割と理由がはっきりしていて。自分に許可なく、祭りをするのは何事か、と言って。榊一本使うのを許さんといって怒ります。山の神が乱入して来る場合は大体、榊、柴が絡んでいますね。
で、実は文句をつけに来たけれど最終的にはお宝を置いていくらしいんですけれども、大体。そして色んな、色んなパターンで帰ってきます。問答に負ける、或いは、仲なおりする、何か約束する、神楽によって、色々あるんですけれども。乱入系の神様。本川にもその名も「鬼神争い」というのがあります。
映像:本川神楽「鬼神争い」
これは、もう完全に、榊をバシャバシャバシャバシャと床に叩きつけて怒っています。
で。このあと、神主のようなものと問答が繰り広げられます。神主という解釈の他に氏神という解釈も神楽によってはあるようです。
これも長いんで、切っちゃいますけれど。
問答の一つの要素として、かつて巫女とかが神がかりした時に、どんな神様が降りてくるかわからないわけですね。だから質問するわけです。神様に。誰ですか?と。ワシは誰々だと。神がかりした人って何を言っているかわからないらしいんですけれども。そういう問答が行われていた、と。それが、こう芸能化といいますか、こういう形になって、おそらく演劇的になる、一番、日本の芸能の演劇的な部分の、最初の方のものではないかということですね。もうひとつ。これは多分、間に合わないので、後半の方で、続きをやらなきゃいけないと思うんですが、この現れた荒神の演目の中で一番面白いと思うのは諸塚神楽です。ちょっと長いので、飛ばしながら。
ここは宮崎の諸塚村という、標高800メートルぐらいのところに、集落が点々としています。ここにだいたい同じ内容の南川神楽と戸下神楽がありまして、ここに三宝荒神という演目があります。ここも山から文句を言って下りてくるんですね。
映像:諸塚南川神楽「三宝荒神」
左から一荒神、二荒神、三荒神。夜中の12時半ぐらいですかね。手前の神主と問答になるんですが。
これ、わしの許可無く祭りをするとは何事か、榊一本使わせないと怒っているわけですね。村人は、やいややいやと騒いでいる。これもあの、怒って山から下りてきた荒神です。実は昔は、この最中もお客さんはせり歌を歌っていたわけですね。この神楽に関係なく。でも盛り上げるために。それは、また機会があったら、ゆっくりと説明しますが。冷やかしたり、なんだりいっぱいやって全然、構わないわけです。ここでも人気キャラなんですね。
みんな騒いで実際は誰も聞いていない、この問答を(笑)。少し飛ばします。
これの。荒神の元は山の精霊だと思うんですけれども、これに、修験者の仏教的な、経文を利用した、布教の要素が入っているんですね。ヤジを聞いているとこの三荒神の人、山本さんっていうんですね。散々声をかけておいてね。こっち向くと「こっち見んな」って(笑)。
ここは、このあと、氏子の長老が出てきて、氏子が困っているので仲なおりしましょうという展開になります。
一荒神も榊、使っていいということになり、榊の枝を差し出します。そしておみやげの引き出物をもらいます。お酒が出てきて、歌を歌って仲直りします。これだけ、盛り上がる神楽も珍しいですね。まぁ、お返しに引き出物、紙に切れ目を入れて目録みたいなものを表すんですがこんなぐらいじゃ、ワシの鼻の穴もつまらんわいと、鼻の穴につめるんですが、終わるまでこの状態なんですね、一荒神は(笑)。一荒神、二荒神はお酒もらえるんですけれど、なぜか三荒神はお酒もらえないことになっています。
研究者の人によると、ここで問答に使われているセリフの仏教的な内容は平安時代の偽物の経典を使っているらしいんですけど、もともと山の精霊が降りてくるという地の信仰を修験者が利用したんじゃないでしょうか。
まぁ、こんな感じで。三宝荒神。ここの神楽のクライマックスのひとつなんですが、まぁ一番盛り上がるところになります。
さて、神楽っていうのは、割と関西の方は、獅子舞のイメージが強いというか、イメージする人が多いようなんですけれども。一方、関東の方にいきますと、記紀神話神話に出てくるような、神様が出てくる。神話を仮面劇で表現するというようなイメージを持つ人が多いんですね。でもここまで、見ていただいた神楽の中では、神話で出てくるような神様は、ひとりもでてきませんでした。まぁ、宮崎の場合ですと、岩戸開きというのが、地元の神話で大事にしているので、このあと、岩戸系の神様が出てきたりとかは、しますが。この段階までは、出てこないところが、多いわけです。
この解説にも書きましたけれど、記紀神話を取り入れたのは、そんなに新しいものではなくて、江戸時代ちょっと前ぐらいからといわれているんですけれど。当時最先端の芸能だった能のスタイルを取り入れたために、人気が高くなって全国に広まったんですが。神話ばっかりやる神楽が出るようになったのは、割と最近のこという風に言われています。
このタイプの神楽の紹介は後半にもっていくとして、そうですね。
愛知県、まだここの神楽がひとつも出てこなかったんですが。このあたり、私のグーグルアースの地図にいっぱいピンが刺さっているところを、三遠南信と呼んだりします。これは、三河、遠州、それから南信濃。昔の名前だと、そうなります。今の呼び名だと長野、静岡、愛知、その三県、三ヶ国の県境あたり。これは、天龍川の中流域になるんですが。このあたりに、この神楽の4つの分類でいきますと、湯立神楽に分類される、霜月祭系の神楽があります。霜月祭系の神楽というのは、冬至祭を基にしているんではないかと考えられていまして、冬至は一番太陽が衰えてしまう日で、そこからまた復活するわけですね。そこに、生命力であるとか、魂が復活するということを重ねて考えた信仰。宮崎の夜神楽も採り物神楽に入りますが、霜月祭系と考えられます。
冬至祭りは、おそらく、縄文時代からあるといわれています。縄文の遺跡なんかに、石があり、冬至の朝日が入ってくる方向に隙間が作られているとかですね。そういうことがありまして、宮中でも鎮魂祭というのが、そういう祭りだといわれています。昔の人は、魂が体から出て行っちゃって、遊離していくのを恐れたわけですね。ですから、魂が弱まるということも、非常に恐れました。天皇、天皇がこの国を、政をして治めているということで、天皇の魂が弱まるのもおそれたので、宮中には、今でも鎮魂祭があります。
えー僕の神楽の解説のコピーのタイトルが「鎮魂の芸能」となっていますが、これはもう編集の方から与えられたテーマでして、鎮魂というのは、レクイエムではなくて魂を体内に納める、鎮めるということですね。魂を鎮めるという意味になります。それが、大体冬至と合わせて考えられていたので、冬場に、お祭りをするところが多いということになります。
ちょっと、前置きが長くなってしまいましたが、愛知県側に奥三河の花祭という、祭がありまして、ここでも山から、ここでは鬼と呼ばれているんですが、榊鬼という鬼がでてきます。
映像:奥三河の花祭「榊鬼」
最初に見えるこの鬼は、お供の鬼で子鬼とか供鬼とか呼ばれます。榊鬼が出てくる前に出てきて、ひとしきり舞ったあと、これから、メインの榊鬼がでてきます。ここも、15箇所ぐらいになったのかな、だんだん数が減っているんですが。いくつかの地区で行われており、これは古い戸と書く古戸(ふっと)地区で正月の2日から3日にかけて夜通し行われている様子です。湯立神楽で、釜に湯を沸かせ、神仏に湯を献上し、その湯を浴びて、一年の汚れを払って、生まれ、清まる。また、エネルギーをもらって、一年を無事に過ごすと祈願をするお祭り。で、地元の人は神楽と呼んでいなかったんですが、これは神楽であると。研究者が、神楽ということにしましたので、今神楽となっています。
これは日本の神楽の中では珍しい参加型の神楽で、一緒に舞ったり、歌ったりできる数少ない神楽です。ほとんど、オールナイトパーティー化する神楽です。いま、注連縄、この切り紙がついて、御幣が、紙垂が吊るされている。注連縄で区切られたところは本来は、結界が張られた聖域ですから、本来は一般人は入れない。大体どこでも。しかしここは入れる。そして榊鬼が登場してきたここも問答が始まります。
ここは、榊鬼の前に、山見鬼という山を見るという名前の鬼が出てきます。そして榊鬼が出てきて、朝に朝鬼が出てきて、まぁ、3種類の鬼、地元では鬼様と呼ばれていますけれども、山から下りてきた精霊という風に今は考えられていますが、出てきます。榊鬼の場合は、このように問答をして榊を引き合う。ここは仲なおりというよりも、年齢が何万歳であるとか言い合ったり、榊の枝を引きあったり、勝負をしていますね。さっきの諸塚の一荒神と同じような感じで、文句を言って下りてきたんですが、ここでは負けたことになっています。だいたい。これは、この祭を伝えた修験者の力を、やはり見せなきゃならないんで、大体修験者が勝つような内容になると言われているんですが。
このあと、色んなパターンがあるんですが。ちゃんとワシを祀るんだったら、村もちゃんと守ってやるということで、帰ったり、宝を何か置いて帰ったり。さっきの南川の三荒神だと、榊を与え、非常に呪術的な杖があるんですけれど、死者が蘇るような力があると言われるような杖を置いて帰ったりとか。この花祭だと、今、これが地面を踏みつけている、これが反閇です。清める時に、地固、反閇ということもしますが、改めて、この鬼は、この土地を反閇によって、鎮めて山に帰る。ほかの地区では、この後、この榊鬼が、病人がいる家を回っていって、その病人を踏みつけるような所作なんですけれど、治るようおまじないをして回る地区もあります。それは、月という地区で、youtubeで奥三河、花祭、月で検索すると、確かまだ、個人の家に行って、榊鬼が、まぁ寝ている人をお呪いで踏みつける所作をするというものが見れると思います。
せっかくなので、見てもらいたいものがあるので、宮崎に戻っちゃうけれど。
椎葉ですね。さきほどちょっと名前が出た。柳田国男が訪れて、ここの民俗文化を知って、それでここから民俗学が生まれたようなことが言われていまして。民俗学発祥の地などと言われるんですが、この椎葉。ちょうど今、平家祭りというのをやっていまして。実際に、平家の落人が、ここに隠れ住んでいました。源氏が追いかけてきて、ここに鶴富屋敷というのがあるんですけれど。そこに住んでいた平家のお姫様と源氏の武将が恋に落ちたりしてという、そういう伝承が残っているところなんです。そんなわけでかつては閉鎖的な土地柄で様子が他所にはあまり知られなかったんですね。今、まだ椎葉あたりに行くと、普通の人がかなり中世の言葉をしゃべっていたりすると言われています。「何々してたもれ」とか。普段遣いしている、そういうようなところです。
柳田国男が神楽を見つけたわけではないんですが、ここの神楽というのが、日本の中では、一番新しく発見されたというか、研究されたのは、つい最近。昭和の50年ぐらいですかね。研究調査がまとめられた。非常に古い古式が残っている。どれも色々個性的なんですが、その中でも個性的な、色々な面白い要素があるんですが。その中でもここは尾手納という地区です。
映像:椎葉 尾手納神楽「鬼神」
ここも鬼神という。山の神とも言える神が舞います。
今聞こえている歌は、お客さんが歌う歌です。一般的には「せり歌」と呼ばれるもので椎葉では「ごやせき」と呼んでいます。
鬼神が右手に持っている鈴が錫杖タイプで、山伏が持っている錫杖の上の部分のもので、このへんでも修験が伝えたことわかりますし、いわゆる神楽鈴に変えないで、ずっとこれを使っているあたり、古式が感じられます。これが、この地区も今はやめちゃいましたけれど、これは民家です。民家の襖全て取り払って、ワンルームにして、真ん中の部屋で神楽をして、まわりの部屋から観る。というやり方をしていました。神楽宿は毎年変わるんですが、受け入れるのも大変になってきたので集会所と呼んだりする専用の施設を作る地区が増えてきました。
笛のある地区もあるんですが、ここの地区は笛もないし。それから、神楽33番、朝までやるんですが、ここは面が2つしか出てこないですね。あとは、面をつけない曲ばかり。で、すごく歌をたくさん歌う神楽です。今は、お客さんが歌うごやせきと呼ばれる歌が聞こえてきましたけれど。神楽をやる人たちが歌う歌も非常に色々な歌。ここは日本かいな、アフリカの歌じゃないの?と思っちゃうような歌もあるんですが。
それから特に西日本の方は、面が大体怖い顔をしているんですね。怖い顔が多いんです。鬼神面と呼ぶんですが。鬼神とか、荒神とか呼ばれて、外国の人で、一神教の人たちに、神様がいっぱいいるので混乱もするんですが。
例えば、韓国の人に、神楽の写真とか面をみせたら、みんな怖いと言われました。怖い顔をしている、怒っていると、神様がね。なんで、なんででしょうか?ということになるんですが。
これは、僕の解釈なんですけれど、先ほどから言っている山の神、祖先神、自然神、この人間がコントロールすることの出来ない自然とどう折り合いをつけて暮らすか、ということで、神という概念もできたと思うし、祭もできたと思うわけですね。神の部分は、恵みをもたらしてくれるし、鬼の部分は天災であったり、疫病であったり、災いをもたらす。自然のその両面性というものを、鬼神のひとつの鬼と神の両義的な存在として、表す。その存在を迎えて、また一年、次、暮らしていくためのお互い、村人にとって、これはコミュニティのお祭りなので、村人にとっては、1年に1回みんなで確認しあう場であったろうし、ある種の諦め感を持ちつつ、「神様お願い」ということで、現れてきた鬼神に、また無事に1年暮らせますようにとお願いする場所でもあるということになるわけです。
ただ、面白くないと、続けられないわけですね。ですから、今、数は減ったとはいえ、まだ何千という神楽が日本全国にあると。なんでなくならずにあるかというと、強い信仰心とともに、やっぱり面白かったからなんですね。楽しかったから。
最初の方に、昔の、総合芸術という言い方をしましたが、映画もなければテレビもラジオもない。近世に入れば、ある種、旅芸人もあったし、江戸時代も終わりの方になれば、村芝居であるとか、村の文楽であるとかいう芸能も盛んにはなってきますが、娯楽が少ない時代に、神楽というのは、やっぱり楽しい存在でもあったわけですね。楽しいだけだと、芸能化していっちゃうわけですけれども、そこに神様とのお付き合い、一緒に神人共食。今のように毎日ごちそうが食べられるわけではないですから、神と人が一晩呑み食い一緒にして楽しむという、ハレの日ということで、神楽が存在してきたわけです。
これが、古いもの。まぁ、先ほど一番最初に見ていただいた石清水八幡宮とかも、平安時代からやられてきたスタイルだと思うんですが、里に残っている神楽なんかも、中世、室町のぐらいからは、今の形ではなくても、なんらか似たようなことをやっていただろうと。今、行われている形に落ち着いたのが、江戸の初期ぐらいではないかと言われています。平安から鎌倉、だんだんと室町、戦国時代に入り、江戸時代に入り、江戸時代に入っても、色々な将軍の色々な方針で世の中が色々変わったり、飢饉があったり。一番大きい明治維新というとんでもない、ものによって、日本のそれこそ、伝統というのがずたずたにされて。はっきりいいますと、我々は、明治維新以降でっちあげられた偽物の日本を教わってきたともいえるわけです。
神楽をみていると、それがわかるわけなんですけれども。今、みんな明治維新に文句を言っていますよね。特に、今の社会状況を、世の中をみていると、色々こう、みんな吟味して考えるようになっています。明治維新に西洋列強に負けないような国にしようと大変革がありました。神仏分離や神道の国家神道化、修験道の禁止などもありました。そして調子のいい時期がありました。日清、日露戦争に勝ちました。それから、まぁ町では都市部では、大正デモクラシーがあったり、それから太平洋戦争があって、敗戦、終戦があったりしました。
支配者が変わったり、社会体制が変わったり、色々な世の中が変わったにもかかわらず、神楽はずっと続けられてきたわけです。神楽は、損得考えたら神楽なんかやれないわけですよね。大体、お金使うしかないです。だから、大体は、お金持っている人がより多く払うというような、富の再分配みたいな内容もあるわけなんですけれども。かなり、強かに神楽は残ってきたわけです。神仏分離になった時に、上手に「はいわかりました」といって、「じゃあ、仏教と離しますね」と。本当に離したところもあるんですよ。鬼の角を切っちゃって、今まで鬼と呼ばれていたものを全部神様にしたり、さっきの榊鬼、山見鬼、朝鬼というのも、サルタヒコ、スサノオ、オオクニヌシというように全部神様に変えたりとか、そういう風な、変えて生き残った神楽もあるし。「ハイわかりました」と言いながら、こう、(手をゆらゆら)まぁいいじゃないですかといって、残った神楽もあるし。神がかりも禁止になりましたけれど、神がかりを残しているところもある。これだけ世の中に翻弄されながらも続けてきた文化というのは、そうあるものではないと思うので、そういう面からも神楽を見て欲しいなと思っています。
話が長くなっちゃいましたけれど、神楽は一体なんですか?という問いの答えになったかどうかわかりませんけれども。私は、神楽というものは、そういうものではないかと、考えています。最後に、前半の最後はパフォーマンスとして見て面白いものにしましょう。
これは長野県上松町、木曽駒ケ岳神社という神社の太々神楽です。四神五反拝という演目があって、これだけ、これだけを写真撮りにみんな集まってくる。
映像:木曽駒ケ岳神社「四神五反拝」
床を踏みつけている、これは、反閇なんですけれど。すごい大きな音がします。舞台というか拝殿は床に釘を打っていないので音がものすごく大きく響くんですね。そしてこのジャンプしたところを撮るために、カメラを持った人がいっぱい集まってくる。この瞬間はストロボの嵐です(笑)
えーと。今、これまで見てもらったのが、僕の配ったコピーの解説にあります、祭りの最初から最後まで芸能を伴って行うというものがほとんどでした。もう一つのタイプ。祭り、神社の祭礼のなかで、神楽という芸能を奉納する形で残っている神楽というのがあります。これがだいたい、東日本が多いです。東日本から、東北の方が多くて。
神楽のプロセスを説明する段階では、どうしても最初のうちは、西日本の神楽になっていきます。この木曽駒ケ岳神社というのが、ちょうどその中間ぐらいなんですね。夜通しでもないし、その割には、朝から夕方まで結構時間をかけます。(グーグルアースの地図で)ちょうど、ここなんですね。で、大体ここから東、ここから東に行きますと、ほとんど、まぁ、例外はありますが、ほとんど奉納系の神楽になります。だから、遠くまで見に行っても、せいぜい2、3時間ぐらいで終わっちゃうような神楽が東日本には多いです。
で、例えば、埼玉県鷲宮神社。鷲宮というところに神社がありまして。最近聖地になっていて。アニメの「らき☆すた」という作品の舞台になっていたようで、若い参拝者が異様に増えたらしですね。ここの神楽というのは奉納系の神楽で、採り物神楽に分類されていますが神話を題材にしている神楽の代表とも言えます。ここの神楽が関東一円の里神楽のルーツとされています。
映像:埼玉 土師一流催馬楽神楽「八州起源浮橋事之段」
これは八州起源浮橋事之段(やしまきげんうきはしわざのまい)という大仰な名前が付いていますけどイザナミ・イザナギの国づくりの演目です。天の浮橋が大道具で舞台に置かれているんですが、これは珍しいです。
だいぶ古い録画なので、画像が悪いですけれど。これは今、神楽殿、常設の神楽殿で行われています。この向かい側正面が本殿です。だから、この神楽は向かいにいる本殿の神様に奉納しているという形になります。しかし、それでも、神楽殿の手前のところに祭壇が作られていますから、神楽の祭場をつくって清めている、痕跡は残るわけですね。もうちょっと見てみましょう。
映像:榛名神社神代神楽「恵比寿舞」
これは、もっと北の群馬県の榛名神社という榛名湖の近くにある榛名神社の神代神楽と呼ばれているものです。ここなんかは、神楽殿がだいぶ高いところにあるんですが、本殿が、同じ高さの向かいにあるので、同じレベルで神楽をしようとすると、これだけ神楽殿を高くしなきゃいけなかったという。これは「恵比寿舞」ですけれど。かなりお囃子も崩れちゃっている感じもしますが、ここにも祭壇が作られています。かなり古いお祭りの道具ですね。これ絶対、江戸時代から使っていますって感じですね。演目によっては、ここも、本当に古い、擦り切れたような味のある衣装を使ってやる演目もあります。
舞もちょっと心もとないかな、心配かな、という感じなんですが、この頃はあまり神楽をする機会は少なかったみたいです。最近行っていないんですが、また頑張っているみたいです。関東の方にいくと、こういう神楽が大体、普通な感じになっています。
で、大体面をつけている演目を能舞、能神楽、神能などというんですが、一番、能と歌舞伎と、それから壬生狂言の影響を受けたのが江戸里神楽といわれています。この江戸里神楽というのは、江戸の、今だと東京の割と大きな神社、例えば神田明神であるとか日枝神社であるとか、そういうところのお祭りで、神楽殿で奉納をしています。この辺りになると、本殿とかを向いていません。もう、舞台ですね。
僕、個人的な神楽の定義でいきますと、神歌がないと神楽じゃないのですが、ここ神歌がないです。なので、僕の定義だと、神楽じゃなくなっちゃんですが(笑)。
江戸の町民の趣味に合わせて、こうなったといわれています。神楽をやっているのはいわゆる社中ということで、この人たちは、色んなところから色んな神社で声かかって。で、稼がなきゃならないというのもあるで、そういう面でも社中同士が競ったのでしょう、芸能としては、レベルがどんどんあがってきたと。どんどんどんどん難しいことをするようになったのだと思います。
東京の人は、東京も昔は色んな神楽があったんですが、戦後ぐらいから、どんどんどんどん無くなってきたので、東京で神楽知っている人だと、こういうイメージを持つんですね。東京の人は。あとは、おかめとひょっとこが出てきたり、道化で出てきたりするので、そういうのが神楽だと思っている人は、東京は多いです。ま、美空ひばりのお祭りマンボという曲の中でも、神楽のことが出てくるんですけれど、そこもおかめとひょっとこという言い方をしています。まぁ、だから美空ひばりの影響もあるかもしれませんが。
江戸里神楽は笛なんかは、能に近いかんじですね。
で、最初に、神楽の中に、大成してからの能を取り入れたといわれているのが、また西に少し戻りますが、出雲の佐太神社。ここは本当に綺麗な神社です。静かで。(グーグルアースを指して)このへんが、出雲大社なんですが。かつては、江戸時代は、出雲大社と勢力を二分していたといわれる佐太神社。ここに神楽がありまして、ここの神職が都へ行って、大成した能を、当時、最先端の芸能ですね。それを見てですね、「こりゃあいい、神楽に取り入れよう」ということで、この佐太神社が大成した能を最初に取り入れた神楽という風に言われています。これは、本田安次という神楽では一番の大家の先生がそういう風に言ったので、この手の、ここの解説、この事典の解説に書いている採り物神楽というのは本田先生が生きている時は、出雲流神楽と呼んでいました。湯立神楽のことを伊勢流神楽とも呼んでいました。あとふたつは巫女神楽、獅子神楽。ですから、出雲流、伊勢流と言うんだったら、ほかのふたつも地名で分類しなくちゃいけなし、というようなことで、非常に 科学的ではなかったんですね。今でも科学的じゃないですが。そんなわけで。
映像:佐陀神能「八重垣」
これが佐太神社の佐陀神能と呼ばれている神楽の一つ、「八重垣」。これスサノオの大蛇退治です。だいぶ、現行の能楽とは違いますが、一応、鼓を使って、最初だけ謡を歌います。物語、ストーリーがあるのが画期的だったわけです。
大成する前の猿楽の能というものはすでに神楽には入ってたと考えられていますから、お面をつけること自体を能と呼ぶことがあります。例えば、ストーリーがない山王であったり、鬼神であったりするわけですが、面をつけると能、という解釈が生まれたわけです。
そしてここの場合、一応、八岐の大蛇。大蛇というのは、頭八つ、尻尾八つなので。面のおでこのところにに目玉を七匹分描いていて面の目と合わせて八匹分、全部で16個にして表現しているわけです。鱗模様の衣装に、この目玉のたくさんのお面で、八岐大蛇を表している。こういうストーリーを持たせたというのが、やはり大きかったんですね。
今、あの、大蛇退治の神話をみなさんがどこまで知っているかわかりませんけれど、まぁ、大蛇にお酒を呑ませて、酔いつぶれたところをやっつけるというよう卑怯な話なんですが(笑)。
ここからいわゆる立ち回りですね。ですから、まぁ、本当に、ここが最初にこういう様式を、取り入れたとすると、芸能での立ち回りの一番元祖かもしれませんね。
これが、最初に、能を取り入れたといわれている、佐太神社の佐陀神能です。
このように、神話を題材にした演目というものが、だいたい江戸時代くらいから出てきたらしいです。じゃあ早池峰神楽にいきましょう。神話劇を演じるので採物神楽のようですが獅子神楽の分類になります。神楽として日本で一番最初に、国指定の重要無形民俗文化財になり、ユネスコの世界無形文化遺産にも最初になりました。今は花巻市に入りましたが、大迫町というあたりで行われている神楽の岳(たけ)、と大償(おおつぐない)、このふたつをまとめて国指定になったんで、合わせて早池峰神楽と呼んでいますけれども、正確には、岳神楽と大償神楽ということになります。
映像:岳神楽「天降りの舞」
これは、岳神楽。岳神楽の「天降りの舞」です。
最初に出てくるのは猿田彦ですね。早池峰神楽は、右のほうに、ちらっと映っている太鼓と手平鉦、シンバルなんですが、右のほうで演奏していまして、笛は幕の後ろで吹いています。これは神楽殿で本殿に向かって舞を奉納しますから、太鼓と手平鉦の人は本殿に背を向けているということになります。それから、詞章とか歌とか言い立てですね。セリフと歌の人も幕の後ろにいます。幕の外と中は、お互いに見ることができません。これは天孫降臨のニニギノミコト一行を迎え入れる猿田彦ということになります。
ここは色々な研究者、外国人の研究者もかなり入っているところですが。大成する前の能がここに残っていると言われているのも注目されている理由のひとつです。
これがウズメですね。ちょっと古い撮影なんで、詞章もなまっています。かなり。
これが、天降り、天孫降臨の神話を、題材にしている早池峰の岳神楽でした。で、この早池峰神楽の本来の、一番のメインは権現舞という獅子舞になります。ただ、この権現様と呼ばれる獅子は、関西で良く見かける獅子と、顔がちょっと違って、熊のような、鹿のような。ちょっと細面の獅子頭になります。色も黒いです。この権現様で、かつては火伏せとか、悪魔祓い、竈払いをしながら霞と呼ばれる縄張りを一軒一軒門付けして回っていました。
映像:岳神楽「権現舞」
さっきの、天降りみたいな古い能のような演目は、夜に一晩泊めてもらう神楽宿で村人たちを楽しませるために部屋でやっていたので、だいたい八畳間であれば舞えるということですね。四人で舞っていましたけれど、だいたい八畳間であれば、四人で舞えます。
最初の方にいいましたけれど、神楽はとにかく、おまじない、です。呪術的な要素がないところは、神楽じゃないと言ってもいいくらい。この権現というのは、目に見えない神仏が、仮に獅子の姿をして、現れたという風に考えます。ですから、獅子頭に神仏が宿っているという風に考えます。ですから、ものすっごくこの獅子頭を丁寧に、大事に、扱います。
僕も、この早池峰神楽の系統の石鳩岡神楽の人たちに韓国韓国公演をしてもらったことがあるんですが。終わった後、ホテルの部屋に集まって、部屋呑みする時も、まず権現様を鎮座させて、権現様にお神酒を差し上げてから、じゃあ呑もうかと。そういう、なんというか、宗教芸能者の姿を、そこに見ましたね。
獅子神楽にはもう一つのタイプ、今は、西日本、近畿地方にだけ残ってしまいましたけれど、伊勢大神楽があります。伊勢大神楽系の獅子舞とここがどう違うかというと、まず、体の表し方が違うんですね。後ろの人が幕というか幌の中に入らないんですね。このまま直立のまま動くという違いがあります。伊勢大神楽は、後で見てもらいますが、後ろの人が幕に入るので四足の動物みたいな動きになります。そして獅子自体が採りものを持つので、口をカチカチ出来ないんですね。
東北地方の太平洋側ではの、獅子の歯打ちというものを非常にありがたがります。今、獅子にお神酒を、権現様にお神酒を差し上げている、ま、お米、お水とか、お神酒とか、捧げたあとに祈祷になります。おまじない、胎内くぐりをします。祈祷してもらいたい人は、こうして、胎内くぐりをします。生まれ変わるという意味があるおまじないですね。湯立神楽の「生まれ清まり」との共通点があります。そして子供を抱いていますが、この一年間の間に生まれた子供が丈夫に育つようにとの祈祷もしてもらうんです。
これは、日本中どこでも同じなんですが、獅子に頭をかじってもらうのはおまじないとして人気があります。
これが、今、早池峰神社の例大祭で、岳神楽と大償神楽が奉納しています。宵宮は岳が先にやって、大償があとからやって。翌日の本祭りの昼間は、大償が先にやって、岳がその次にやるんですが、それぞれいくつか演目をやって、最後に権現舞を、締めのような形で権現舞をやります。そして、獅子神楽の中でもう一つの代表格がさきほどちょっと比較した伊勢大神楽で。大阪もまだ、回っている場所もあるので、見たこと、知っている人がいるかもしれませんけれども。
映像:伊勢大神楽「回檀」
これは、伊勢大神楽の「回檀」と呼ぶ門付けをしている様子です。この時は滋賀県の近江八幡あたりですね。これは、加藤菊太夫組という組がまわっているところです。完全に門付けです。
今、赤ちゃん抱いています。さっきの早池峰も赤ちゃん抱いていましたけれど、その一年間の間に生まれた子供が無事に育つように祈祷してもらうというのが、ここも早池峰も同じですね。さっき言ったように、獅子が採りものを持ちますので、口は開いたままですね。
これ、ご祝儀のお米を一袋まとめているところですね。お米をもらったり、お金をもらったり、お酒をもらったりして、この人たちはプロですからこれで食べています。この家はご祝儀が多かったとみえて、二頭立になっています。立派な家です。この時は、口を動かしていますね。採りものを持つと開けっ放しになります。
これが。伊勢大神楽で、実際に見た事あります?
どの辺で?
会場:丹波、、丹波で
丹波の方?まわっていました?だいたい鳥取のあたりまで行くんですよね。この、加藤菊太夫組は近江八幡と鳥取にふたつ拠点があって、伊勢大神楽というんで、みんな伊勢だと思っているんですが。拠点は伊勢だけじゃないんです。もともと伊勢神宮のお札を配って歩いていたんですけれど、それができなくなって、三重県桑名の増田神社という神社のお札を今、配っているんですが。その、12月23日かな?に増田神社にみんな集まって、6つの組が集まって、総舞というのを舞うんですが。それにみんな人が、増田神社に人もたくさん集まりますね。それぞれの組も。
で、早池峰神楽が、権現舞の他に能をやったり、武士舞とか、古式舞とかですね、狂言、コントみたいなこと、色んなことをやるんですが、伊勢大神楽の場合は、その代わりに放下芸という曲芸をやります。だから、総舞を見る機会があったら、大阪でもやりますから、観に行くといいと思います。見る分には、ただです。ま、ご祝儀払って欲しいですがね。
皿回しなんかすごいですよ。何メートルぐらいあるんだろう。3、4メートルぐらい先で皿をまわしますし。ジャグリングも、かなり高く放り上げます。毎日、プロですからね。毎日練習して。漫才みたいに、チャリがボケをしたりしてね。チャリっていうんですが、真似してわざと失敗したりとか、こう、笑わせ役の。この近くでもどこでやったかな。近々やりますよ、総舞が近くで。後で調べておきますね。
こんなところで、2時間たちました。後半足りない部分はやれると思いますので、休憩したいと思います。
後半は、今回浪速神楽がピックアップされているようなので、巫女舞を見てもらおうと思います。
神楽の四つの分類の中に巫女神楽というのがあり、最初に少しお話しましたが、神楽のもっとも古い形が残ると考えられているので、分類を並べた時一番最初に来るのがこの巫女神楽です。
ただ、巫女神楽は巫女舞だけの神楽なので数はそれほど多くありません。そして採物神楽や湯立神楽の中にも巫女舞が残っていたり、また先ほどの本川神楽のように巫女舞の痕跡が残る舞も多く見られます。
まず、本来の神懸りする巫女舞ですが、これは今は残っていません。しかし、その痕跡が残ると言われている神楽があります。
映像:大田神社「巫女舞」
京都の上賀茂神社の摂社の大田神社の巫女舞です。ここは、祭神が天鈿女命です。神話での天の岩戸の前で天鈿女命が舞ったのが神楽の始まり、みたいな言い方をされています。もちろん、神話なので、もともと巫女舞があって、それが神話に採用されたわけですが、岩戸の前で舞いながら神懸りしたと書かれているので、神懸かり系の巫女舞がこの神社に残っているというのは自然なことだと思います。
ここでは巫女さんがただ立ったまま回るだけです。左に回って右に回って、逆・順とも言いますがこれをかつては高速で回転して神がかっていたと考えられます。
今はとても遅くなっています。神がかりをする代わりに今はこの巫女さんに、まあ神様が降りてきた、神様のパワーが乗り移ったと言うことで氏子さんに対してですね鈴を振って、神様のパワーを降り注ぐというか、祈祷、お祓いをやっています。すごく短い神楽でも2分ぐらいで終わってしまう日本で一番短い神楽かもしれません。
この神楽は神がかり系の巫女舞について本に書かれると必ず紹介される巫女舞です。
もう一つ、分類としては湯立神楽に入るものなんですが、秋田県の「保呂羽山の霜月神楽」というお祭りでやはり巫女さんが託宣をします。ここでは「神子」という字を使います。今は託宣はもう様式的になっていていつも同じことを話すのですが、これも神がかりの痕跡が残るということで神がかり系巫女舞について、本に書かれるとき紹介される神楽の巫女舞です。
映像:保呂羽山の霜月神楽「保呂羽山舞 託宣」
それから東北のほうにもう1つあります。黒森神楽と言う山伏系の神楽に付随する巫女舞で普段は神楽と一緒に行動していないんですが、黒森神社などいくつかの神社での例大祭で「湯立託宣」と言う神事で巫女舞を舞います。ここも「神子」と表します。
そして、えー、この中で、これも様式化されていますけれどもかなり長くはっきりと神の託宣を述べます。神歌を歌った後、太鼓を叩く胴取りの質問に答えるという形で託宣します。
この巫女舞は近隣の女性の信仰がとても篤く、形式的ではありますが巫女の託宣をありがたく受けると言う強い信仰が残っています。形式的ではあっても神子さんからの託宣を有りがたく聞く、という強い信仰が残っているわけです。このやり方ですが黒森神楽の舞い方を基にした巫女舞になり、他の巫女舞と少し様子が違います。またすごく時間がかかるのも特徴ですね。
映像:黒森神社「神子舞(湯立託宣)」
また西日本に戻りますが、出雲の沖に浮かぶに隠岐諸島、この島々に残る神楽にも巫女舞があります。
この神楽は採り物神楽に分類されていますが、先程の黒森神楽の巫女さんのように正式に神楽のメンバーとして巫女さんがいます。
巫女舞を舞う以外でも手平鉦を叩いたりしてお囃子にも参加します。隠岐には今東側にある大きな島、島の後と書いて「どうご」と呼ばれる、今は島全体が隠岐の島町になりましたが、久見という港の集落に久見神楽という神楽があります。
映像:久見神楽「巫女舞」
これは二年に1度の大きな祭りでお神輿の御旅所での巫女舞です。静かな舞ですね。大きな祭りでない年も神楽は行われ、巫女舞があります。一人舞と二人舞があります。
そして西側にいくつかの島々からなる島の前と書いて「どうぜん」という地域があり、島前神楽があります。
映像:隠岐島前神楽「巫女舞」
ここはかつて明治までは専門の宗教芸能社集団として島の中での祭りやお葬式、また個人の祈願に応える神楽もやっていました。そしてその中に巫女の神がかりの託宣もありました。しかし明治になって神憑り禁止となってからはやらなくなりましたが、最近その御注連行事という演目を形式的に推復活させています。
島前神楽の巫女舞と久見御神楽の巫女舞はいずれもとても静か舞で、あまりダンスのような舞踊のような動きはなく、ゆっくりと回転する動きが基本になっていますね。これだけお囃子がリズミカルなのにこれだけ静かに舞うところに何かストイックさを感じます。採り物神楽に含まれる巫女ではありますが、本来の神がかり系の巫女舞の痕跡が残ると見ていいと思います。
もう一つ巫女舞には八乙女(やおとめ)系と言うものがあります。これも学者が神懸かり系と八乙女系に分けたんですけれども、八乙女系は舞を美しく様式化して神様に奉納するというような巫女舞になっています。現在神社で行われてる巫女舞の多くはこの八乙女系ということになります。
代表的なものに出雲の美保ケ関、ほとんど鳥取県の境港に近いところですが、そこにあります美保神社の巫女舞があります。ここでは巫女さんが毎日朝と夕方お勤めのように巫女舞を舞います。見る人が1人もいなくても舞われるもので2種類あって1つは真の神楽と呼ばれています。もう一つが八乙女神楽と呼ばれています。
映像:美保神社「巫女舞」
あと巫女舞がかつて神楽の基本であったことを示すものに、佐陀神能がある佐太神社の祭りに御座替神事がありますが、この一番最後に男性が女面をつけて巫女舞を舞います。これはそれほど古いものではないようですが、この名前がやはり「真の神楽」呼ばれています。
ですからやはり巫女舞がかつては神楽のメインであったという事です。
映像:佐太神社御座替神事「真の神楽」
それから奥三河の花祭に最初の方で舞われる「一の舞」と言う舞があります。これは地区によっては「市の舞」と書いたりします。香神がかりをする巫女のことを市子とも呼びました。市子はイタコにもつながると言われています。ですから「市の舞」は元は巫女舞だったと考えられています。
映像:豊前神楽「笹神楽」
それから豊前神楽に笹神楽と言う面をつけない男性の一人舞があります。先程の黒森神楽での湯立託宣があったように湯立神事では巫女が笹を使って湯をはねることが多いです。神楽でなくても湯立神事は各地の神社で巫女によって行われています。なのでこの笹を採り物にしたさ笹神楽も本来は巫女舞だったと考えていいと思います。
このように巫女神楽自体の数は少ないですけれども、採り物神楽の巫女舞やそれが元になっている男性による舞は各地の神楽で多く見られます。
なお今ですね、神社でよく舞われている巫女の舞に「浦安の舞」というものがあります。これを伝統的な神楽だとイメージしている人は多いのですが、これは昭和15年の皇紀2600年という西暦に対抗して作った天皇の暦のようなものなんですが、この2600年を記念して天皇を寿ぐために当時の宮内省のリーダーが作った創作神楽ということになっています。
そして時代は戦争へと突き進んでいくころでしたので、全国の神社にこの舞を舞うように講習会が開かれたそうです。お囃子は雅楽ですのでおそらくレコードが配られたのでしょう。ですから今でも浦安の舞を舞う神社は全国各地にありますし、里神楽でも女の子の出番がないからという理由で浦安の舞を、録音された音をバックに舞う神楽もいくつかあります。これは神楽だという人もいるし神楽ではないと考える研究者もいます。
浪速神楽は巫女神楽の一つと考えていいでしょう。Youtubeでしか見ていませんが八乙女系の巫女舞としてきちんと成立している舞だと思います。そして剣を採り物としているのが珍しいですね。私がこれまで見た中では剣の巫女舞は「保呂羽山の霜月神楽」だけです。ここの巫女舞は託宣があるので神憑り系ということで、この二つになにか関係があるとすれば浪速神楽も神憑り系ということになりますが、まあ、たぶん別のものだと思います。
映像:浪速神楽「劔」
あと、最後にひとこと、今回の「伝統芸術の現代化」というテーマについて考えていることを話したいと思います。
最近神楽に接近して来るダンサー、舞踊家が増えてきてます。中にはちゃんと現地に通い、習い覚える人もいるんですけど、表面的な体の動きを見ただけで神楽がどういうものかを知ろうとせず、それなのに自分勝手に「創作神楽」を作ろうとする流れもあるんですね。何人も知っています(笑)
現代の舞踊は芸術的であろうがなかろうが「自己表現」であり、アーティストのほとんどは「自我の塊」です。そしてその自己表現に価値が有るわけで、それは「自我ダンス」であって、無我になり神と一体になるような神楽の舞とは対極のものなんですね。
最近よくシンポジウムやトークの場所で「アーティストが自己表現するのは当たり前のことなのでそこに自分が理解した神楽の要素を取り入れるのは構わないけど、それを◯◯神楽と呼ぶのはやめてほしい。神楽風◯◯ならまだ許せるけど」と言っているんです。
伝承が難しくなっている神楽の現状をどうすればよいかというテーマから「現代の神楽」みたいなキーワードが出てくるわけだけど、神楽にたいして誤解を生むような形でのアーティストからのアプローチは出来るものなら避けてもらいたいと思っているんです。
ありがとうございました。