ドキュメンテーションアーカイブのみち

事業5×事業8

映像ドキュメンタリー作成途上の議論

 

撮影にあたっての議論①と②

事業5を記録撮影するにあたりドキュメント/アーカイブチームでは、同じ対象を「多様な視点」から見せることを目的に、それぞれの関心でドキュメンタリー映像を作成すること、さらに、パフォーマンスを全方位から鑑賞する観客に協力して貰うkoefescopeを行う二つの案を進めてゆきました。

●ドキュメンタリー映像への道その1 事業⑤をいかに撮影するかケイカク
●本番映像
●ドキュメンタリー映像
●ドキュメンタリー映像への道その2 koefescopeをするのかしないのかモンダイ

 


 

ドキュメンタリー映像への道その1 事業⑤をいかに撮影するかケイカク

◆まずはブレスト。自由です。

●交換番の顔等、ズームで取る
●真上から取る。難しければ、できるだけ俯瞰で→場所確認
●NG集を作る。
●本番(違う場所)の時の照明はどうするか?集中できる照明できない照明。
●koefescope scopeA リュミエール・ルールに従う 準備や直接関係はないものも可
●仕様書はあるが、この作品の思想がわからない。わからなくてもいいのか、そもそもあるのか。
●予行演習では、できるだけ邪魔をしない範囲で、撮影・観察して、本番会場の下見もして本番に向けての撮影計画を検討する。
●参加者のインタビューを撮る 前後で。
●三輪眞弘さんのインタビューを撮る
●いろいろな解釈があるとのことだが、今までの上演とは違った解釈をしてみる。(今までものは確認できないが)
●長時間露光で撮影
●連射で撮影
など思いつきです。
──2015/9/26(土) 13:47 A(11)

◆A、Bが映像講師を交えて9月30日に第一回ミーティング。
作品を勉強して個別に撮影、編集プランを考えるのが大事だという基本を確認。10月10日に下記プランからできることを実験して、さらに練り直すことに。
–2015/9/30(水) 0:29 B (12)

◆10月10日のワークショップで、ラボから借り出した一番いいカメラが使いこなせず、計画練り直し。まだ漠然と・・・混迷。

①上演を固定カメラ2~3台で撮影。最適な角度を要リサーチ。
 うち一台はカメラをバトンに吊って俯瞰撮影したい。 会場で要シミュレーション>11月4日(水)にするかも。またお知らせします。
②練習によって劇的に変わりそうな人をリハーサルから追いかけ、前後などでコメントを撮影 ★Aチームの方、どなたか候補はいますか? また、コメント撮影してくれる方は?
③上演後、緊張の解けた演者たちの話が面白そうだ。
−−2015/10/30(金) 22:38 B(24)

◆11月6日にC、A、Bで打合せ。撮影プランそっちのけで、作品解釈、いや演算をいかに身体化するかで大激論。A曰く「角をとったら左右2パターンで丸く収まる。」Bは身体を基準とした相対方位による解釈に疑義、「俯瞰の目」の必要性を主張。Cがクラシックのピアノ演奏の観点から議論に参戦。収集つかず。この視点の違いを映像で表現しようということに。具体的には、素材となる映像を、両チームの稽古段階から集めて共有してゆくこと、本番はカメラを使えるだけ動員して俯瞰を含む様々な角度と、演者の視点からも同時撮影する計画に。

◆戸外でドローン撮影案が浮かんでは消えた直後、キャンパス内でのドローン撮影が届け出制に。俯瞰撮影は、紆余曲折を経て11月12日に懐徳堂の下見をして天井の高さを確認。最初のカメラ配置案作成。

旧撮影プラン
20151212カメラレイアウト案_1旧.pdf

◆この撮影プランを添付して、事業担当者とアーティストに許可願いを提出しました。


伊東信宏さま

いつもお世話になります。
ご協力頂いています事業8について以下、お伺いとお願いをさせて頂きたく思います。

事業8として、事業5をどのように、ドキュメンテーション/アーカイブするかという話し合いの中で、
楽譜の指示の把握の仕方、演奏するときの方法、さらには作品の意味を巡ってさまざまな議論がなされ、
それぞれの多様な視点で短篇映像にするのが良いのではないかという方向で動いています。
例えば
案1)演者の身体が混乱したり干渉しあったりするシーンをメインに構成する
案2)特定の目をつけた演者の変化のプロセスを追う
案3)反”逆シミュレーション音楽”
などです。
その素材集めのために、なるべく全体を押さえた映像とそれぞれの視点での映像の撮影を計画中です。

カメラの配置は、12/12の会場の懐徳堂での実験・撮影の専門家等の指導を経て添付ファイルのように考えています。
他の参加者が何を見ているのか、何を考えているのかについても知りたいため、
練習時やリハの空き時間に演者にインタビューを行ったり、客入れプランに支障がなければ
観客にもremoscope(iphoneでの周辺からの撮影)への参加を呼びかけたいと考えています。
(許可をいただけましたら、当日いきなりではなく、告知に呼びかけや説明を入れ込んでゆきたいと考えています。)

以上、ご了承いただけましたら、本番での撮影、観客へのremoscopeへの参加呼びかけなどをご許可いただけましたら幸いです。
また、必要とご判断されましたら三輪眞弘さんへのご確認を頂けましたらありがたく思います。

お忙しいところ誠にお手数ですが、よろしくお願いいたします。


— 2015/11/20(金) 3:14 A (66)

◆パフォーマーの視点をということで、当初検討していたメガネカメラのチープさに疑いが生じ、講師のコネで制作会社からまともなウェアラブルカメラを投入。11月22日Bチームの稽古で交換番さんに協力して貰ってカメラテスト。この日は事業担当者もAさん作のお面をつけて、皆頭が重い。

◆Bチームが被り物をすることもあり、ウェアラブルカメラはAチームに着けることに。youTubeで限定公開、共有した映像でリハ映像のチェック。が、議論の痕跡なし。あとは講師が現場で微調整したものと思われる。

 

 

●撮影プラン
1212カメラレイアウト.pdf

●撮影機材リスト
20151212レンタル購入機材リスト_1旧.pdf

撮影指導:神澤真理
協力:川村英郎、中嶋啓人

●本番映像

●ドキュメンタリー映像の作成
リハーサル映像と、本番映像から受講生が、異なる視点から映像作品をつくりました。

 

 

ドキュメンタリー映像への道その2 koefescopeをするのかしないのかモンダイ

ワークショップに参加するうちに、舞台上の記録だけでなく、観客のみなさんにも撮影してもらい、より多くの視点からの映像を実施し、集めたいと、メンバーで話していました。具体的に撮影プランを検討するうち、撮影NGの観客がいた場合の肖像権の処理について、また公演の鑑賞の妨げになると考え、最終的に、舞台上の撮影を行いました。

以下、懸案事項のトピックとSNSを使って意見交換(抜粋)

受講生以外の一般のお客様が入られると、カメラ撮影NGの方がいらっしゃるのでは、ということでしょうか。カメラが多くなると、確かに写り込みの可能性は高くなります。それであれば、とりあえず、その会場のみで上映する、ということで了承をいただくのはどうでしょうか。
 ──2015/12/9(水) 10:25 KM (157)

 

一般の方には「記録が入ります」と了解をとればよいと思います。入り口に「本日撮影が入ります」と張り紙をして、マスクなどを準備しておくのはいかがでしょう。もちろん、伊東先生に話をとおして開始前に会場に声かけをさせてもらう、と。
 ──2015/12/9(水) 13:59 B(159)

 

今回のkoefescopeがどの場面で実施可能なのかな、と疑問が湧きまして。。。
疑問というのは、
●どの時間帯に実施しますか。
・・・よく考えると、上演中にスマホなどで観客が撮影している状況には違和感があります。観客も観ることに集中したいですし、演者にも失礼かと。
●一般の方がご自分のスマホなどで撮影した映像まで、管理できない。
・・・撮影NGの方がマスクをしてまで上演を観るのは、不本意かも、とも思ったりします。

これが今回のkoefescope実施についての私が思うところです。
 ──2015/12/9(水) 23:23 C(163)

 

> ●どの時間帯に実施しますか。
> ・・・よく考えると、上演中にスマホなどで観客が撮影している状況には違和感があります。観客も観ることに集中したいですし、演者にも失礼かと。

やはりそこは考えなければなりませんよね。
もともとこのイベントでコエフェスコープをしようという話は、360度周囲から観客にiphoneで撮影してもらったら面白い、というアイデアに発しているので、てっきり実現のために困難をクリアの方向で考えていました。

> ●一般の方がご自分のスマホなどで撮影した映像まで、管理できない。
> ・・・撮影NGの方がマスクをしてまで上演を観るのは、不本意かも、とも思ったりします。

ふむ。
撮影NGマスクもいやという観客が一人でもいた場合は、それを尊重して撮影は控えたいなと私は思います。
ということはその確認は、全体ではなく、入り口で個々にということになりますね。
もしろん、そこまで手間がかかるんならやめようよ、、、といった判断もありだと思います。

絵がほしいならそれ用に撮影の場をしこむ。
観客から画像を集めることに意味を置くなら、手間をかける
 ──2015/12/10(木) 9:04 B (165)

 

Dさんがおっしゃるように「観客は見るのに集中したいのでは」と反対しておられ、ましたが、
「そういう機会があるのなら撮りたい観客」もいるかもしれません」
全員に撮影をしてくださいというのではなく

> ということはその確認は、全体ではなく、入り口で個々にということになりますね。
> Cさんはパフォーマンスに専念のことなので、Bはいけますが、Aさん、手伝っていただけますか?
   もちろん、もろもろお手伝いさせて頂きますが、なぜ確認を入口で個々に行うのでしょうか?全体ではいけませんか?
 ──2015/12/10(木) 21:58 A(175)

 

>>> ・・・撮影NGの方がマスクをしてまで上演を観るのは、不本意かも、とも思ったりします。
>> 撮影NGマスクもいやという観客が一人でもいた場合は、それを尊重して撮影は控えたいなと私は思います。
>    そもそも、これだけのカメラを据えて撮影するのですから、NGの人も写るのでは?

私たちが映像を回収できるカメラだったら、顔を後から消す処理ができます。
観客がiphoneで撮影した画像についてはそれができない。
自分で責任がとれないことを奨励するのは控えたい。

>>ということはその確認は、全体ではなく、入り口で個々にということになりますね。
> もちろん、もろもろお手伝いさせて頂きますが、なぜ確認を入口で個々に行うのでしょうか?全体ではいけませんか?

先の考えで行くと、全体に呼びかけていざ一人でも「撮られたくないです。マスクもいや」と手を上げた場合、「ではiphone撮影はやめましょう」となったら手を上げた人は気が悪いのではないかと。
個別に入り口で対応したら、全体の前で誰のせいでやめるのかを明示せずに済む。
 ──2015/12/11(金) 0:33 B(180)

 

>> 私たちが映像を回収できるカメラだったら、顔を後から消す処理ができます。
>> 観客がiphoneで撮影した画像についてはそれができない。
>> 自分で責任がとれないことを奨励するのは控えたい。

>>> 「個々のカメラで撮影されるのとは、別物だと思います。」
>>> 「・・・撮影NGの方がマスクをしてまで上演を観るのは、不本意かも、とも思ったりします。」
    実際、マスクをしてもらう、のでは?
    主催者側の撮影が嫌な人は不本意でもマスクをしてくださいということでしょうか?

少し書き方がわかりにくかったですが、個々のカメラでの撮影のことを行っているのではなく、
記録自体や顔を消す処理をされたくないという人が現れた時のことです。
考えすぎでしょうか?
 ──2015/12/11(金) 4:31 A(186)

 

まあ考え得ることは細やかに考えてゆきましょう。
私がしているのは、肖像権をクリアしていない個人の顔写真を公にすることは法的に問題にし得る行為なので、責任がとれる範囲を把握しておかないとおっかない、という話。私はびびりです。

Cさんが心配されているのは、撮影行為がお客様の快適な鑑賞を妨げる可能性かな。
実際、自分が身を置く空間の感じ方に、知らない人が手にしているカメラが入るか入らないか、そのレンズが自分のほうを向いているか否かって、結構影響しますよね。特にふだんからカメラの使われ方に不快感を募らせている方。自分が見る主体になることに快楽の結構な部分を負っているスペクタクル系の催事など。それは作品の受け止め方にも微妙に影響します。だから、アーティストや、おもてなし的な細部に配慮する主催者とも、記録の利害は齟齬をきたします。
こういったところの違和感は大事で、法がラインを引いてくれてもいないし、問題化もされにくい。だから現場の感性と想像力と思考を闘わせてマネジメントする交渉ゾーンになります。

この催事を積極的に記録しようとしている私たちが闘わせるのは、記録することをどこまで必要だと思っているのか、この事業の撮影記録に私たちがどんな意味を見いだしているか、です。
これは主催者には(アーティストにも)説明してきて、まあ別にいいんじゃないということになっていますよね。
当日しか対応できない一般のお客様には、規模によってどこまで丁寧にするか。
開始直前に「今日は○○のため記録が入ります。ご了承ください」とアナウンスするのは、嫌だと言いにくいだろうし、一人、二人ちょっと不快に感じるかもしれませんが、最も手間が省けるやり方です。
催事の内容に即して考えると、無料だし内容も記録の実験と通じるところがあるので、自分たちの撮影だけなら全体でよいと思います。
ただkoefescopeはNGの人がいたらやめざるを得ないので、会場入り口で一人一人に挨拶しがてらご協力お願いします〜とやるのはどうでしょうか。
 ──2015/12/11(金) 8:17 B(191)

 

> 撮影行為がお客様の快適な鑑賞を妨げる可能性かな。
> 実際、自分が身を置く空間の感じ方に、知らない人が手にしているカメラが入るか入らないか、そのレンズが自分のほうを向いているか否かって、結構影響しますよね。特にふだんからカメラの使われ方に不快感を募らせている方。自分が見る主体になることに快楽の結構な部分を負っているスペクタクル系の催事など。
それは作品の受け止め方にも微妙に影響します。だから、アーティストや、おもてなし的な細部に配慮する主催者とも、記録の利害は齟齬をきたします。
> こういったところの違和感は大事で、法がラインを引いてくれてもいないし、問題化もされにくい。
だから現場の感性と想像力と思考を闘わせてマネジメントする交渉ゾーンになります。

このあたりは、三輪さんが、上演は「奉納」であり、観客は神に捧げるものに立ち会っているとおっしゃっていることにつながるかも。的外れかもしれませんが。
三輪さんは、録音された音楽を「録楽」として音楽からは区別し、聴衆の前で生身の人間が演奏し、神に「奉納する」ものだけが「音楽」だと主張している。
その三輪さんが、撮影することやアーカイブすることをどう考えられてるか聞き(アーカイブ)したいように思います。
 ──2015/12/11(金) 9:50 A(199)

 

> このあたりは、三輪さんが、上演は「奉納」であり、観客は神に捧げるものに立ち会っているとおっしゃっていることにつながるかも。的外れかもしれませんが。
> 三輪さんは、録音された音楽を「録楽」として音楽からは区別し、聴衆の前で生身の人間が演奏し、神に「奉納する」ものだけが「音楽」だと主張している。
> その三輪さんが、撮影することやアーカイブすることをどう考えられてるか聞き(アーカイブ)したいように思います。
これを読んで、少しスッキリしました。
そうなんですよね。
この日の上演は記録だけで良くて、「アーカイブ」「いろんな視点で撮影」は、それに至る過程について出来れば良いと思います。

話がそれますが、
ウチの発表会では、手持ちビデオ撮影を遠慮いただいています。撮影は固定ビデオのみ。
小学校の音楽会などもだいぶ手持ちビデオは少なくなってきています。
生の、その時にしか生まれない演奏を、その瞬間、しっかり観て聴いてほしいから。
 ──2015/12/11(金) 10:00 C(203)

 

すごく納得できます。
その違和感を口にして抵抗いただいたことで、本番前に落ち着きどころをさぐることができましたね。

一方で、聴取の堕落と引き替えの部分があるにしても、記録というものがなければあり得なかった創造や発展もある。
ドキュメンテーションでもアーカイブでも、催事の主催者に依託された場合を除き、記録を正当化する絶対的な武装はない。
落としどころは常に、ステークホルダーとの交渉の中で、実行主体が決めなければなりません。
決めた後も、会場の人々の身体を読みながら、記録行為の暴力性を自覚させられる。。。そんな感じでしょうか。
 ──2015/12/11(金) 10:23 B(207)