ドキュメンテーションアーカイブのみち

事業5

本番までに撮影した記録映像を囲んでの振り返り

 

2015年12月12日(土)15:00〜15:45
大阪大学会館 21世紀懐徳堂スタジオ

 


 

上演の後に事業8が設けた振りかえりの場は、観客の視点を集めるkoefescope案と併せて、上演後の緊張が解けたタイミングでのパフォーマーの感想を聞いてはどうかというアイディアから始まりました。前半はAチームのリハーサルの最初と最後でどう変わったか、後半はBチームがお面を被って行ったリハーサル画像を(動画編集がうまくいなかったというハプニングから)静止画をエフェクトで重ねたものを鑑賞することに決めました。

◆振り返りの場で聞いてみたいこと  
①これまで実際に体験してきたことを、このように記録映像で改めて観ることで、何か気づくことなどありますか。
②この映像を観て、一番よみがえってくる言葉や体験はなんですか。
③(本番で初めてこの演目を鑑賞した方へ)本番だけを鑑賞するのと違い、なにか新しい気づきなどはありますか。(2015/12/9(水) 1:26 前半担当者YHのSNS投稿より)

◆前半に見た映像☞Aチームの稽古映像(撮影、選択YH)
●11/7の稽古 [初めて全員で動いてみた日]
●11/16の稽古 [初めて最後までできた回]
●11/16の稽古 [初めて「おまんじゅう」を食べてみた回]
●12/5の稽古 全天球型カメラによる撮影
◆後半に見た映像☞Bチームの稽古映像(撮影:神澤、編集:上野)
●11/22の稽古映像を静止画から編集したもの

◆感想

●?最初の方が、個性というか癖が、、、結構見えました。
●?どっちの方がいい音楽かというと、最初のような気がします。[パフォーマーの]個性が。たどたどしい感じがします
●?展示方法なんですけれども、最初に無声音でやって、あるタイミングから、バンって大きく、音を始めると見え方が全然変わると思う。
●?通して見ると、だんだん明らかに、よく言えば、洗練されてきたなというのが、よくわかるなというのが感想です。
●IK私は今日初めてみたんですけれど。2時半までのアフタートークでは、作品のアイディアとか、芸術的なこと、理論的なことが多く出たと思うんですけれど、すごい面白くて、アカデミックなところを強く感じました。こちらの映像をみていると、アカデミックなところよりも参加している人たちのなんていうか、生活の合間をぬって練習にきているところがみれるなと思いました。
●どちらのチームも、[練習のあいだに]1度お面にいったというのがわかって、面白かったです。

●IK音と画像がパソコンの機能のせいでなのか、ズレが生じてきているわけですよね。最初は、これパソコンが悪いんだと思ってたんだけど、それが見ているうちになんというか、非日常さ?さっきの奉納とか、突き放された感じと音楽学の学生が言っていたんですけれど・・・自分でも引き込まれるようなトランスのような変な気持ちになってきて、偶然できたものなのに、こういう風に感情をもたらされることがあるんだなと思いました。

●U全然、手探りというか、よくわからないことが、この事業5というか、三輪さんの作品に関わったりして、考えたことがありました。練習風景で発している言葉など、その時は何気なく聞いているけれど、あとで見るとすごいことを言っているなということが多々あって。意図されているかどうかわからないけれど、されていたら、すごい計算・・・だなぁと思って。すごい作品だなと。よいしょしているわけではなく思いまして。もっと、もっと、なんというか、いろいろな角度からみていって、面白いものを発見したいなという感じです。

●IZ最後の本番の観客がいる状況と、観客という存在がいないという状態で、全然違うのかなと思って。普通の練習や、今日の朝の練習の時の感じと、自分の体の感じも全然違いましたし。観客がいる時といない時で、すごい変わってしまったんで、これって奉納なのだろうか、と。ちょっと、奉納というと、観客じゃなくて、観客じゃない別のものに対してだけれど、観客という存在に左右されると、映像をみても思いました。(・・・)なんか、リラックス感じゃないけれど、緊張感も違うし、やっぱり、いつもと違う。自分自身の感覚でいうと、ちょっとドキドキしているし、暑い感じがあるし、焦りやすくなっていたし。観客の存在ってあるんやなぁと。

●MW:さっき、見守るという言葉を使ったけれど、別の言葉を使えば、証人なんですよね。。。。確かに、これをやった、これをやっているという、証人がまわりにいるっていうのが緊張の一番のあれなんじゃないかな。

●KG: 実際どうなんだろう。体の開き具合とか、すごい微妙な体の変化の仕方ですよね。今日、みなさんの言葉で言っていただいたような、この場が盛り上がっているかとか、そこに自分が、何か物語に当事者性を感じる瞬間とかね。そういうものが、映像で一体どこまで見れるもんなんだろうかと、そのあたりを期待して、そこを切り取りたいと思って、リハーサルからずっーと固定カメラで撮っていたんですけれど。実際に、どうなんだってことは、わりと気になっています。

●FK:さっき言った、練習の中で、すごい「タッタタ タッタタ」というこのリズムがメロディとして、ムォーって上がってきた瞬間があったんですけれど、それは映像をみていても、「あ、ここ。ここ。」と、同じ場所で思いました。だから、記憶としては残っているかと思うんですけれど、今日みた感覚では、さっきやった本番の感じが体にありすぎて・・・それ以上のものとして見れないというか。映像は映像やな、という感じで、今見る経験としては、さっきやったものが勝っているというか。過去のものが残っているなという感じですね。

●KG:こういう場をひらくのは、どういうタイミングがいんだろう? 事業⑧の最初のレクチャーで、映像をあるアートプロジェクトの振り返り、記憶をみんなで共有する場として使うという事例を、せんだいメディアテークや、大阪のプロジェクトをやっている人に聞いたんですけれど、どのタイミングでっていうのが、上演芸術に関係しては、大きく左右するかなと思う。上演が終わった後、トークが盛り上がりますよね。今日は終わってすぐだけど、映像自体はもうちょっと後でもいいかも。