【インタビュー】吉澤弥生
2000年代大阪のアートと行政の関係を調査し、関係者の間でも研究成果とともに記録的価値を高く評価されている『芸術は社会を変えるか?』の著者で、社会学者としてアートの現場、諸機関の間で活躍する吉澤弥生さんにお話をうかがいました。11月28日「芸術を介して生み出される空間の公共性」研究会でのお話を踏まえ、インタビューではrecip[NPO法人地域文化に関する情報とプロジェクト]で携わってこられたアートプロジェクトの調査、『若い芸術家たちの労働』といった研究に、記録という関心から質問をさせていただきました。
+「記録と調査のプロジェクト『船は種』」では、ディレクションを担当されました。複数の関係者と調整しながらどのようにチームを編成されたのでしょうか。
吉澤:ここ(『東京文化発信プロジェクト「記録と調査のプロジェクト『船は種』に関する活動記録と検証報告」』にも書いたように、設計の意図としては、まずアートプロジェクトにおいて多様な人々の参加やその過程がほとんど可視化されず、そこに関わった人の私的な記憶にのみ留まっているという問題意識のもと、アートプロジェクトの当事者の手による記録と調査の設計を行うことでした。昨今、ようやくアートプロジェクトの記録や検証の重要性が指摘されるようになってきているけれど、「評価」の必要性に引っぱられていて、結果、評価に関係のないものは全然残されないままになっている。そういった問題意識を共有したメンバーに集まってもらい、数ヶ月という短い期間で、みんなの知恵を絞って記録と調査のプロジェクトを実施しました。
+研究会でも、アーカイヴと評価はセットではないという話が出ました。記録と調査で問題意識を共有できていたのはなぜでしょう。
吉澤:今回のチームはrecip[NPO法人地域文化に関する情報とプロジェクト]とremo[NPO法人 記録と表現とメディアのための組織]という2つのNPOのメンバーが中心でした。どちらも行政の事業を受託することが多かったんですが、いつも単年度で成果を求められるけれど、来場者数のような指標だけでその事業の価値は測れないし、その成果だって単年度では測れない時間のかかるものだということをみんな実感していたんですね。だから、そのための基礎的な記録と調査の重要性を体感として持っていた。それと併せて、『種は船』のディレクターの森真理子さんと事務局の豊平豪さんが人類学の出身で、そもそも記録と調査に違和感や警戒感を持たない方々だったことも大きいです。
+評価の方法については、どう折り合いを?
吉澤:『種は船』プロジェクトでは、記録と調査を提出したところで終わっているんです。私たちと並行してアーカイブのチームも走っていたんですが、この「記録と調査」と「アーカイブ」をとりまとめて「評価」を考えるチームも、両方の現場からあがった材料を読み解くには時間がなさすぎた。私自身も評価軸のところまでたどり着いていない。ただここまでいろいろやってきて、私たちの方法の延長にあるというか、近いかなと思うのは、セゾン文化財団の片山正夫さんのおっしゃる「エピソード評価」です。エピソード評価をするには、定期的なインタビューが必要になる。そういう地味な作業が必要だという理解が共有できればいいんですが、まだそこまでいっていないというのが現状です。
+報告書には、アートプロジェクトをどう記録するかと悩んでいるとき、具体的にやってみたいと思えることがたくさん載っているのですが、フォーマットを作るというような意識はおありですか?
吉澤:2013年『船は種』は記録チームは調査チームと連携しつつも独立した動きだったので、そのフォーマットは松本篤さんと久保田美生さんが作成して報告書に載せていますし、翌年には「ノコノコスコープのイロハ」というハンドブックも出ました[。一方で2014年『「莇平の事例研究」活動記録と検証報告』は記録を調査の一環という風に位置づけて、調査のフォーマットを残しています。調査設計の考え方や、アンケートの作り方、調査データの保存の仕方などを全部書いています。例えばこれは撮影した映像の一覧ですが、撮った映像はこうやって日時、場所、撮影者などのタグをつけるんだよって。これを読んでもらえれば、記録も調査も出来るようにはなっているんです。ただね、まだリアクションがない。プロジェクトとしてこれを実験台に動いていただければ、現場ごとに記録と調査の方法がブラッシュアッップされていくと思うんですけど。・・・現場のみなさんは忙しいので手が回らないのかなと。
+インタビュー調査をたくさんできれば、プロジェクトに固有の価値をひろってゆけそうで興味があります。でもインタビュアーのバイアスについてはどうお考えでしょう。プロジェクトの価値をわかっている人が、それについての言葉をとろうと思ったら、答えが制限されるというか・・・。
吉澤:そうかもしれない。やはりインタビュアーの資質によるとは思う。いいことを言って欲しいから、そんなに露骨じゃなくても、答えを誘導したりとか。アートプロジェクトで言うと、アートというよりプロジェクトのほう、それが公的事業であれば、文言として目標はあるはずなんですよ。市民還元というようなふわっとしたものだとは思うけれど。だとするなら、そこを逆手にとって、市民還元をもっと具体的な指標に言い換えて、それに応じる言葉を引き出すということはしていいかなと思うな。
+そこは色々議論していきたいところかな。アーカイブとかドキュメンテーションというのは、絶対に公平公正ではありえないということを、ちゃんと踏まえて、インタビュアーは責任とビジョンをもってやるということが、大事なんだと思います。
そこから、『若い芸術家たちの労働』という形について。「労働」という切り口でのアーティストを対象としたインタビュー集ですが、どういったことでこの研究を思い立たれたのでしょう?
吉澤:最初は、大阪市の文化政策のフィールドワークをする中で、みんな忙しいのに低賃金だな、そしてあまりお金に執着しないな、とを思ったんですね。でも一般的にみて、明らかにブラックな業界じゃないですか。この額でこんなに働いちゃう?アートって生活を犠牲にしないとできないの?ということに、徐々に疑問を持つようになったんです。というのは、研究者も似たようなところがあって、自分もそうだったし、わかるんですね、その気分が。好きでやっているからいいんだ、とか、まだ修行中だから、とか、お金じゃないんだ、とか。そこで、これは問題化していこうと明確な意図を持って、アートプロジェクトの現場の人たちに対するインタビュー集を作ったんです。客観化するというか、客観的にみるとこうだけれど、どう思いますか?っていう問題提起をしたかったんですね。状況を変えるのはそんなに簡単ではないですが、まずは現場の当事者がこの働き方を問題化することが、アートの業界にとってもいいことではないかと。
+いつ頃ぐらいから?
吉澤:2006、7年ぐらい。recipがアートNPOリンクと実施した「アートNPOデータバンク2006」で、NPOの有給職員の年収はすごく低いという結果が出てきたんです。平均値142万円。分散があったので一概にはいえないけれど、それにしたって低いよね、と。remoの櫻田和也さんとrecipの渡邊太さんと私で、「いやぁこれは労働問題だよね」とを言い出したのが始まりだと思います。その後、個人でそれをテーマにした科研費を得たのが2009年。
+インタビューに徹した研究方法を選んだのはなぜですか?
吉澤:私、アンケート調査よりもインタビューの方が性に合っているんです。ひとりひとりの物語、その人の生活や人生の中に、アートプロジェクトとか労働とかいうことを浮かび上がらせたかった。数字を抜き出してくるという方法、平均年収いくらみたいなのも大事だと思うんです、もちろん。それよりも私は、どんな人が何をしながら何を考えて生きていて、その中でアートがどうなのかという描き方をしたかったというのがまずひとつ。
+それは従来の社会学研究の方法に対する物足りなさからでしょうか。
吉澤:どうなんだろう。従来のというよりは、私の在籍していた大学院の主流に対する、かな。当時は方法として計量が重視される風潮があったので。社会学は社会学者の数だけ方法があると言われるんですが、大きく分ければ量的調査と質的調査があります。量的調査はアンケート調査など多量のサンプルを数値化して分析するもの。質的調査はライフヒストリーやフィールドワークなど、個々のサンプルを深めていくもの。『若い芸術家たちの労働』はもちろん後者なんですが、他の一般的な質的調査とちょっとちがうのは、私がインタビューデータを編集して、私の文体になっているところ。聞き書きそのままじゃないんです。
+言われてみれば、文体が揃えられていることにちょっと違和感も覚えたのですが。その意図は?
吉澤:まず、個人情報を出来るだけ減らしたい。方言だったり、話し方だったり、そのままにしてしまうと身元が判明しまうという現実的な問題がひとつ。もうひとつは、このインタビューを「なまの素材」として社会学の論文を書きたいというより、これを土台に現場の人たちが議論をしはじめてくれたらという思いがあったんですね。社会学の論文を書こうというのなら、仮説・検証・結論というフォーマットにのっとって、読み物として完結させたいという欲望がでてくると思うんです。もっと編集をしないで、データに語らせて、分析するというかたちをとる。
+そういう違いがあるんですね。確かに、これで何がわかるのか?という結論まで出してはくれない。
吉澤:アーカイヴのようで、まだ途中のものである、という意識が私にはあります。完成していない。
+完成したものって、関係者の中の強い論理に回収したものであることがわりと多い気がします。読んで違和感がある、ザワザワするポイントがあるのはそうなっていない。例えばアーティストと研究者が一緒に何かを社会に問うアーティスティック・リサーチなんかもそうで、パフォーミングアーツだったら、研究者が言葉やデータで枷をかけようとしても、それに対して身体は違うことを言っているみたいな。
吉澤:ブブ・ド・ラ・マドレーヌさんと山田創平さんの別府でのプロジェクトなどそうかもしれませんね。山田さんは徹底的に資料を読み解いて、それをブブさんと一緒に展示に転換する。多分、ザワザワするところはあったでしょうね。
+『種は船』もですが、それに近いことをわりとなさっていると思います。お話をうかがっていると。
吉澤:調査担当でアーティストと組むことはあります。2010年に藤井光さんとAAF学校のシンポジウム「アーティストの労働と権利を考える」に登壇したたあたりから、対話が始まったのかな。藤井さんや、アーティスツ・ギルドには私のインタビュー集の2冊目に名前を出して出てもらっていますね。アーティスツ・ギルドは去年「生活者としてのアーティストたち」という展覧会を東京都現代美術館で開催したんですが、そこでアーティスト・フィーに関する共同調査をすることになったんですね。アーティスツ・ギルドのメンバーは30代から40代で、国際展に呼ばれたり海外での評価が高くなってきたアーティスト。そのメンバーがそれぞれ、これまで関わったことのある美術館もしくは公的なフェスティバルの担当者に対して、当時の制作費とそのなかのアーティストフィーの金額を聞くというものでした。でもお金の話は生々しいし、データの扱いも難しいだろうから、彼らが直にアンケートの回収をするのでなくて、私が回答を集約し、しかも誰が何を答えたかわからないような形で、クローズドのトークセッションで集計結果を発表する、というアクロバティックなものでした。ここで言えることは、美術館とかシステムが今のアートの形に合っていない。特にプロジェクト型の制作、プロダクションに対する支払いの形が何もできていないということですね。演劇とかダンスだと、技術職とか実演ということで、フィーの支払い方があるのかもしれないけれど、プロジェクト型のアーティストは、インスタレーションだったりすると展示が終わったら壊さないといけないから「作品」として買い取るというようなお金が出せない。まるっと渡されて、制作費もフィーもここから出してください、となる。調査としては、サンプルは20数件あって、とても興味深い回答ばかりだったんですが、20人にしか結果を共有できないという点が残念でした。ただこの世代のアーティストが、労働とかフィーに関して、表立って発言をし始めたということは、続く世代にとっては、いいことかなと思います。
+ それはすごい調査ですね。よく日本には無いと羨ましがられるヨーロッパの芸術制度やアーティストの保障なども、上からというより、アーティストが何か始めて、官に働きかけて勝ち取ってきた。誰か何か始めないといけないのかなと思います。
吉澤:その辺、私は楽観的で、何か動きをすれば、波及して、応答は返ってくるだろうと。自分たちの問題ですから。少しずつ動きは生まれていますしね。
(2015年12月26日@共立女子大学/聞き手:古後奈緒子)
吉澤弥生(よしざわ・やよい)
共立女子大学文芸学部准教授、NPO法人地域文化に関する情報とプロジェクト[recip]理事、NPO法人アートNPOリンク理事。
大阪大学大学院、人間科学修士、博士(人間科学)。専門は社会学/カルチュラルスタディーズ/文化研究。労働、政策、運動、地域の視座から現代芸術を研究。近著に論文「労働者としての芸術家たち —アートプロジェクトの現場から」(『文化経済学』第12巻第2号、2015)、単著『芸術は社会を変えるか? —文化生産の社会学からの接近』青弓社2011年、調査報告書『続々・若い芸術家たちの労働』(2014)など。またrecipでは東京文化発信プロジェクト室との協働で『「船は種」に関する活動記録と検証報告』(2013)、『「莇平の事例研究」活動記録と検証報告』(2014)を、アートNPOリンクでは『アートNPOデータバンク2014-15 —アートNPOによるアーティスト・イン・レジデンス事業の実態調査』などを共同制作。フィールドは大阪を中心に全国各地。